2005/11/15

【Diary】日常への回帰

◎「人生における最大の乱痴気騒ぎ」を終え、無事帰宅。 とりあえずの日常への回帰を果たした。
「結婚式にトラブルはつきもの」というのは本当で、寸前の寸前でアクシデントに見舞われて非常に重要なスピーチが飛びかねないという事態が発生しかけたが、奇跡的に結婚式・披露宴は予定通りに無事実施することができた。

◎式はキリスト教系式で行う。
モダン&アンティークなチャペルで、意図的に装花を施さず、落ち着いた雰囲気での中、オルガンとヴィオラが演奏され、ソプラノの声に導かれてヴァージンロードを歩き、神父の洗礼を受ける。
手前味噌な話ではあるが、新婦のウェディング・ドレス姿は言い様の無い美しさがあった。
…ちなみに、洗礼を受けている間両者黙祷の姿勢のままブッ倒れそうになったりしている。(目を瞑ったまま5分も10分も黙祷してれば、誰でも倒れそうになると思う…)

◎一方披露宴は終始リラックスした雰囲気だった。
披露宴会場自体華美にならないシックな部屋で、招待客もかなり絞り込んだ(新郎側は会社出席者と友人が一緒くたになるぐらい)ので、私が最初にイメージしていた「小さな楽しい披露宴」が出来たのではないかと思う。
ハデハデなのは嫌いだ。
余興は「各テーブルの写真撮影回り」「新郎新婦のスライドショー」「新郎母親による俳句披露」「新婦母親によるヴァイオリン演奏」となった。
あとで聞くと、母親が競演して余興をやる、と言うのは非常に斬新らしい。
私としては単に「友人にカラオケをやらせる」と言うのが嫌だっただけなのだが…(一度経験アリ)
なお、計画の段階では義兄による武術披露(しかも棒術)と言う案もあったが、天井高が足りなくて実施できなかったことを記しておく。

◎二次会になってしまえばもう馬鹿騒ぎモードである。
披露宴には呼ばなかった(呼べなかった)会社の同僚・派遣社員や友人知人が集まって馬鹿騒ぎ。幹事をSyokei氏にお願いしたのだが、ビンゴの景品として買ってきたのが防災グッズと「鉈」と「青少年の教育に宜しくないグッズ」だったり、歓談中BGMに「巫女みこナース」がかかってみたり、新郎スピーチの時のBGMが「みなしごのバラード」だったりと、店のスタッフをして「こんな二次会見た事無い…」と言わしめた狂乱っぷりであった。

◎さらにその後は高専時代の同級生までもが集まっての3次会。さすがに皆様仕事なので宴会はここまでとなり、私も嫁さんも飲みすぎで沈没。
結果的にはこの日だけが「快晴」となり、まぁ私以外の誰かの日ごろの行いがよかった為に、最高の1日を迎えることが出来たと思う。

2005/11/13

【Diary】8年土産…8年目、そして。

◎その決心をしたのはいつだったか。 前の年だったか、今年に入ってからだったか。

◎4月。 ご挨拶に伺う。 前々からそんな話は出ていたとはいえ、実際に具現化したのはこれが初めてだった。 緊張するとかいうのは特に無かったし、自分の身の上、置かれた現状、等を話した。 そういえば身上書も書いたっけ。 最初の訪問が終わった後「結局あの人は何しに来たんだ」なんて言われたけども、1度目でいきなり切り出すのではなく、2度目の訪問で正式な申し入れ。 快く許諾を頂いた。

◎5月。 初夏の暑くなってきた時期に、親同士の挨拶会と、こちらの家族への挨拶会を行う。 それまであまり行った事の無かった丸の内界隈の店を押さえたり、なれない事を色々やったが、話が進んで行く事も勿論、東京と言う街の新しい側面を発見していた。 丸ビルの高層から眺めた東京の街は美しかった。

◎6月、何気に不動産巡りをして、一発で新居を決める。7年間のワンルーム生活に区切りをつけた。部屋の広さは必要以上、目の前はコンビニ、歩いて5分圏内で生活用品は事足りて、自転車で5分走れば駅から東京までは30分。 最強の立地と最強の部屋だった。

◎7月、引越しをして、その直後に略式結納を行う。 料亭の手配は当然だが、気がつけば全体の進行も私がやった気がする。 夏の手前のクソ暑い時期、スーツに身を固めた私と、振袖を着込んだ相方。 晴れ晴れしい出来事の中で、これからの自分の進む道が形作られる。

◎8月、旅行の手配をする。 大奮発で南の島。 壊滅的に忙しい現実から逃避して「大金払って昼寝をしに行く」と言うコンセプト。 頑張ってきた、そしてこれから頑張るお互いへのご褒美。

◎9月からは本格的準備段階。 打ち合わせを行い、進行を決め、印刷物を準備し、アイテムを手配する。 昼は仕事に、夜は準備に大忙し。 導入した複合機は連日のように稼動し、事あるごとに走り回って車の距離計はカラカラ回る。 今から考えればいつブッ倒れてもおかしくないハードスケジュール。 しかしその中でお互いの意見を出し合い、分担して、一つ一つを確実に、かつ最善の選択を行ってきた。

◎そして明日。 私は晴れ舞台に立つ。 天気も晴れてくれそうだ。 ひとりで生きてきた8年間、ふたり別々に生きてきた3年間を超えて、「ふたりで一つの」生活を迎える。 その始まりを示す、オープニング・セレモニー。 いろいろ憂いはあるものの、ここまできたらもう、何を憂いても始まらない。

◎私がするべき事は、明日と言う日を最高の笑顔で迎えること、ただそれだけである。

2005/11/09

【Diary】8年土産…7年目

◎7年目…もう去年の話まで来たかぁ。 昨年度に業務のテーマが大きく変わったが、この年はさらに大きな変化があり、それまで自分が培ってきた技術的知識が何の役にも立たない全然違うテーマの業務に移動。 それでも今に至るまでどうにかこうにかやっていけているから不思議。さすがに勉強の意味も含めてか、この年は入社して以来最も業務負荷の低い年となった。もちろんスポット的に殺人的忙しさになった期間もあるが、トータルで見るとおそらく残業時間は最も少ない。

◎詳細は言えないがこの年の春前ぐらいの時期に結構大きな出来事があり、それを境に私自身の心境も少し変わって、それまで頑なに認められなかった「茨城県での生活」に順応できるようになった。 まぁ、今でも「茨城県に来た事」は納得出来ていないが。「茨城県にいる事」は、納得で切るようになったかと。で、まぁその中で自炊クセがついたり、田舎の爆走生活で痛みきった車を買い変えたりしてたわけだが…よく考えたら、この年車を買い換えた以外、全然買い物してないや。(それだけで十分だって?)

◎買い物をしていないというより、「物欲」と言うものがこの時期から一気に失せた感じもする。 自炊生活を始めてみると意外とこれがやる事満載で、正直音楽に触れている時間がない。 20代前半程モノゴトに対する意欲が薄くなったというのもあるし、自分自身を取り巻く物理的・精神的な環境がやっと「飽和」の段階に入り、生活も安定してきて、モノを増やして買いそろえて心を満たして行くよりも、シンプルな生活をするほうに考え方がシフトしていると思う。

◎話がそれるが、昨年もそうだがあちこち旅行に出かけている。 前年の夏は北海道に旅行(泊りがけの旅行なんて何年ぶりだったろう…)したし、この年の頭にはOB会にかこつけて数年来の香川県里帰り、そしてこの年の夏に再度香川県を訪れている。(うどん食い倒れツアー) 今年もすでに旅行の計画があり、それにむけて着々と準備が進んでいたりする。 そんなに自分では旅行好きだとは思っていなかったし、自分からすすんでどこかに旅行に行く、と言うのはあまりやらなかったクチだが、いざやって見ると楽しい。

◎楽しい事と言えば、極端な話家事が楽しくなった。 炊事洗濯掃除(裁縫はやらない)といった一通りの「生活の営み」も、楽しもうと思って取り掛かると結構楽しいものだ。最初は「生活のために車に乗る」と言う生活形態も嫌で嫌でたまらなかった(車に乗るのが義務になるのが嫌だった)が、「日常の生活の運転でも楽しくなれる車」に乗り換えて見るとそれが楽しかったりする。要は楽しいことってのは、それをやる側の考え方一つで結構変わるもんなんだな…と言う再認識をすることの多い年だったと思う。

などといいつつ、ついに今年の話。 ここまで余り触れてこなかったネタを放出予定。

【Sound Works】MOシリーズ発表

MO8/MO6が発売。 まぁ餅ESの廉価バージョン、Sシリーズで言うところのS0x系って感じですか。 インサーションエフェクトが3系統に減っていたり、MSPSに非対応だったりと言うところはあるが、エントリーモデルとしては結構良いモデルかもしれない。ただ、今時のモデルとして出すのなら、いっそシーケンサーを非搭載にしてマスターキーボード兼外部音源として動作させる、っていうモデルにすれば良かったのに、とも思う。 あ、それだとEOS EXと同じか…
それにしても、餅直系廉価機が出たってことは、ポスト餅モデルの発表も近いか? わくわく。

【Diary】8年土産…6年目

◎6年目なのだが、昨日の日記にも書いたように5月頃までの記憶がほとんど無い。 とりあえず覚えているのは4月頃を目処に担当業務が変わってそれまでの製品とは全く毛色の違う製品を担当するようになったこと、前の担当製品の負荷が高すぎて精神不調をきたして病院通いした事、人事上の職能と実際にやっている仕事の格差が大きすぎたので意図的に業務レベルを落とされたこと、である。

◎病院通いはモロに精神科である。 正確にいうなれば前年の暮れごろから病院に通いだし、最初は沈静系の薬を貰っていたのだが春先から症状がひどくなって来たので意を決して主治医に話をしたところ「適応障害と軽度の鬱ですね」と診断されて抗鬱剤を貰う。 普段薬を飲む習慣の無い私はあまりに劇的に効果が出て、数週間もするとどこに出しても恥ずかしく無い立派なアッパー兄ちゃんになった。

◎毎日早起きして家事全般をそつなくこなし、会社が終われば速攻で帰宅してプラモデルの製作にいそしむ。(結構作ったなぁ… この年。) 薬をやめてからは自堕落な生活に戻りましたが、「家事全般をそつなくこなす」と言う習慣だけは今でも残り、最近の趣味は皿洗いだったりする。

◎そしてこの年の夏、東京を離れ茨城県に引っ越し。 夏の時点では「一時出張」だったが、年末には「転勤」の扱いになった。 最初の出張で訪れた部屋は独身寮で6帖一間DKのアパートで、部屋の外に柵が無いと言うステキな立地条件。 朝起きて雨戸を明けると路駐の車とオハヨウゴザイマースなんて状況で、とてもではないが雨戸は開けられない。(体調不良で会社を休んで、午後布団にこもってゲームをしてたら窓から同僚が乱入!! なんてなこともあったっけ…) 毎週週末は三鷹に帰り、日曜日の夜に寮に戻ってくる二重生活をほぼ半年続けた。

◎そして12月、本核的に住居が茨城県に移る。 「本格的に車が無いと生活出来無い土地」 かつ、「料理も含めて全ての家事を自分でやらないと成り立たない生活環境」での生活が初めてで、結局そのリズムを掴むまでに年を越して3ヶ月程度を要した。今となってはエクスプレスが開通したり、生活に便利な土地に引っ越したりして比較的快適な生活をしているとはいえ、薬を断って精神的にまだ不安定な状況での慣れない生活は相当に苦痛だった。 結構相方や周囲の人たちには不愉快な思いをさせてしまったかもしれない。

◎結局今までの8年間の中でもっとも劇的に環境変化が起こったのがこの年である。 職場環境、住環境、人間関係、さまざまなものがガラっと変わり、その変化についていくのが精一杯で、正直なところ自分自身のことを考える余裕が無い+薬でその能力すら奪われた状態で、とにかく時間と状況に流された1年であったといえる。
◎などと言いつつ、7年目に続く…

2005/11/03

【Diary】8年土産…5年目

◎さて5年目。 この年は「別離」を経験した。 気がつけば4年程は何かしらの繋がりを持っていたのだが、1年前ぐらいから疎遠になり、結果として別離となる。 今自分が壮年になった訳ではないが、なんぼ言っても成人したての若さ故か、「気持ちで何とかなる」と信じていたモノの結果、を直視し、それ以前と以後でずいぶんと自分自身の考え方が変わっている。 比較的理想論者なのは今も昔も変わらないが、日記のテイストにも現れているように、比較的「今」を直視するようになったと思う。

◎ほぼ平行して、5年目にして初めて「完全新規プロジェクト」を主担当することになり、今まで経験した事のなかった重圧と戦う日々が始まった。 言ってしまえばその職場の一つの「到達点」に達し、誰かを頼ったりアテにしたり、ではなく、最後は自分で全てを処理すべき立場で仕事をする事になった。

◎しかしその仕事環境は決して恵まれているとは言えなかった。 チーム内で僕は最年少かつ最低職能でチームリーダーとして動かざるを得ず、パートナー達は年齢と職能は高いが業務経験が殆どゼロ。 人員不足で雇った派遣社員も全く経験がなく、かつ入れ替わりが激しく教育手間が削減できない。 にもかかわらず管理側は、「業務の効率化」と言う名目の業務削減にしか興味がなく、体制増強を訴えても帰ってくる言葉は人格否定でしかなかった。

◎極端なエピソードを紹介しよう。 この業務に携わっている間に、実父が倒れて入院する事になったのだが、自分自身で身動きが取れない状態の為私が介抱に向かおうとした際に、職場から浴びせられた言葉は 「業務に穴を空けるな」と言う一言であった。 結果的には少数派の良識人により私の仕事はフォローされ、私は休暇を取って介抱に向かったわけだが、そのときの言葉を撤回された記憶はない。(受け入れるつもりもない)

◎このような職場状況となると、尚更「先」を見る事よりも「今」を直視するようになった。 兎に角その時その時の案件を処理していかなければ、追い詰められた職場の中で自分の存在意義を保てなかったのだ。 このときの経験が、「昔」と「今」の自分を隔てる、大きな転換点になっている。

◎さて、別離があれば出会いもある。 と言うよりも、殆ど気を取り直すヒマもなく新しい交際がスタートする。 それは今につながるものだった。 新しい「繋がり」を示すために買った指輪は、今でも僕の右薬指で鈍く輝いている。 …他にもいろいろあるのだが、実は、この年の10月頃から、翌年の5月ぐらいまでの記憶が殆ど無い。 プライベートでの出来事はある程度記憶しているが、特に仕事の事や生活の事は本当に記憶がないのだ。 詳しくは翌年のネタで書くが、ある意味「当時を思い出したくない」と言う自己防衛機能なのかもしれない。 などといいつつ、頭をひねって、6年目に続く…

【Diary】輝くもの

◎指輪を買った。 ありふれたアクセサリショップで、お世辞にも「プレゼント」とは呼べないような値段だった。 蒲鉾型の銀細工、アイビー模様をあしらい、薄桃色の貝殻がはめこまれていた。 「ふたりの象徴」と呼ぶにはあまりにもチープな代物。

◎それから3年が経った。 ヘビーデューティーな生活の中、傷と共に輝きは鈍くなり、貝殻は全て取れて真っ黒になった。 銀細工の宿命で、縁取りの銀は変色し、黒くなった。 私の指は太くなり、指輪の部分だけ、肉がくびれた。

◎それでもその指輪は、私の指で鈍く輝き続ける。 二人を繋ぎ続けた指輪。 「手」と言う普段から目にする部位に輝くそれは、距離や時間を飛び越え、二人の想いを結びつけ、二人の「繋がり」を証明し続けた。

そしてこの指輪は、私の宝物になった。 傷だらけの輝きに、今日までの日々がこもっている。 きっとこれからも、どこかで輝き続けるだろう。 宝箱の中で、あるいは私の指の中で。