【Maclife】iPadと一週間
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【Maclife】iPadと一週間 |
◎iPadを購入して約一週間が過ぎた。 最初は不安だらけで購入したのだが、なかなか快適に、ちょこちょこと面白い発見をしながら使っている。
◎購入前の最大の不安は「Macbookと用途がかぶって、どちらかを極端に使わなくなってしまうんじゃ無いだろうか」という棲み分けの点だったが、その心配は杞憂だった。 iPadにはiPadなりの、MacbookにはMacbookなりの居場所と使い道があり、それぞれが干渉すること無く共存できる。そして将来購入予定のスマートフォン(iPhone)ともきちんと棲み分けが出来る。
具体的に言えば、例えばBlog下書きをするにしても、携帯生が高いので近所のカフェとかで打つ分にはiPadのほうが向いているが、一方でやっぱり文書作成速度(特にミスタッチ確率)はMacbookのほうが全然速いし、コピペでの組み替えやレイアウト編集などもiPadでやる気はしない。これはiPadの主たる使用目的であるtwitterにしても同じことで、閲覧や散文的なtweetはともかく、連投や論議だとやはりMacbookに部がある。iPadに出来るコトは、せいぜい平文テキストをのんびり打つコトぐらいだ。
◎では所謂ネットブックと比較して、だとどうか。勿論ソフトキーボード故のミスタッチ確率の高さはあるが、そこに慣れれば下手なネットブックより使える。何しろ軽くて薄い。ネットブックの様にカバンにいれて持ち歩くコトを前提として、平文テキストを打つ用途ならこれ以上便利なツールも無い。昔inspironの頃レストランなどに持ち出しては思いついたコトをテキストに打ち込んでいたが、Evernoteと組み合わせてその用途をiPadにやらせれば、これ以上無く便利なツールだ。勿論こんな使い方はスマートフォンでは無理だろう。ソフトキーより操作性の高いハードキーを持つSH-04Aで、この使い方はできなかったのだから。
◎またネットブックとの最大の違いは、Evernote含め「データの母体は別にある」という点だろうか。クラウドコンピューティングの思想にも一部通じるが、PCと繋ぐだけで、あるいはWi-Fi環境に晒すだけで、母体となるデータとリンクされる。その結果自分の情報財産の散逸は無く、常に全てが集約される。ネットブックではこうはいかない。持ち出すデータを自分で選び、ネットブックに流し込む操作を必要とする。母体さえ管理していれば端末は自然とそれに追従する、この使い勝手は「スタンドアロンにはなり得ない」iPadならではの使い勝手だ。
Macで使えれば、さらに快適なんだろうなぁ…(iLifeアプリケーションとの同期の快適さは、Windows母艦の環境では絶対味わえない)
◎さらにiPadにしかできないコト、もっと言えばスマートフォンにもできないコト、は手軽で小規模なプレゼンツールとしての使い方だ。出先に持ち出して、携帯電話で撮った写真をその場で取り込み、連れ立った仲間に見せるとか、ネタ動画を仕込んで置いて話のタネにするとか、そういう使い方だとこのサイズと液晶画面が威力を発揮する。
またそこそこ大きくて見やすいこのサイズと携帯性は、部屋の中で立ち歩きながらネットを見たり、台所でレシピサイトを覗いたり、寝床でtwitterをやったり、生活の何気ないシーンの中にすんなりと溶け込んでくる。
◎人に見せるにしろ、自分が見るにしろ、「本」の感覚でライフスタイルに溶け込んでくるデバイス、確かにこれはAppleが言う様に「革命的なデバイス」なのかもしれない。私は昔からPCは「ハサミと同じ様な道具」だと言っていたが、その表現だとiPadはさしづめ「スクラップブックと鉛筆」だろうか。使い方も、携帯性も。
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