【Diary】9年越しのTokyo Diary
◎超絶久しぶりのDiary更新。 最早生存記録はTwitterに移ったが、一つのけじめとしてこれだけは書き残しておこうと思った。
◎今年の頭に念願の東京移住が叶い、足掛け9年の茨城生活に終止符を打った。1月に引越を済ませ、2月に部屋を改装、3月に改装した部屋にベッドルームを移し、やっと「東京生活」の地場が固まってきた。
いやあ、嬉しい。不本意な理由で東京・三鷹から離れて9年間、どうやって東京に帰るか、その事ばかりを考えていたので、念願がやっと叶ったのだ。その間に、失った物も多いけれど…
◎気に入っていた三鷹の街を離れたのは2003/12/14。あの日の事、正確にはあの日の前日の事は今でも忘れない。首都高を走りながら見上げた新宿の高層ビル。あれを見たとき、私はどんな事をしてでもこの街に帰って来ると自分に約束したのだった。 20代も前半の、拙い誓いだったが、少なくとも私は本気だった。
あれから9年。八畳一間のワンルームから持ち出した荷物は大半が入れ替わり、当時と同じものは衣装ケースひとつと布団と薬缶、あとはいくつかの洋服だけ。
たくさんの物を捨てては入れ替え、気がつけば一つの世帯として恥ずかしくないレベルになっていた。
あの頃からは仕事も、生き方も、価値観も変わったし、出会いも別れも経験した。9年前と同じようなノリで日記はもう書けない。私も年を食った。
それでも、自分に課した約束だけは、何とか守る事が出来た。これは私の一つの自慢である。
◎東京に戻ってきて思う事は、茨城には無かった「多種多様な選択肢に満ちていること」「日々の変化や刺激を楽しめる事」が、自分にとって大きな「癒し」であることだ。 人によっては自然の移ろいや静かな環境が癒しになるのかもしれない。 閑静な住宅地を好む人も居るだろう。 しかし私は、猥雑で喧噪な「街」に自分を置く事が、何よりも癒しになる。(だからこそ中国出張時も、連日香港の街に逃げ込んでいた)
茨城生活で何にストレスを感じて居たかを書き出すと超長文になるので別エントリにするが、とにかく今は「都会の時間に自分を置く事」により、今まで感じた事が無い位ストレスフリーな日々を送っている。
◎この歳になってまで「何か、良いことが起こるかもしれない」なんてな淡い期待を持てる程もう私も若くないが、ともあれ手にした「東京都民」としての自分、これを精一杯楽しんで行こうと思う。
単身パック一つと胸一杯の希望を持って四国から出てきた、あの時のように。
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