2005/08/28

【Diary】荷物の整理

◎相方の引越し準備で荷物を整理に行って来た。
相方は実家暮らしで、中学生時分からの荷物が部屋に満載されており、荷物整理はかなりの困難を極めたが、まぁとりあえず売れる物は売り飛ばし、捨てられるものは捨ててしまう。
個人的な引越しの経験から、まとめるべき荷物をまとめるより捨てるべきモノを先にまとめてしまったほうが楽なのだ。
当初の計画ではレンタカーか何か借りて運んでしまうつもりだったが、捨てるものも多そうなので引っ越し業者を頼む方向で検討してもらうことにした。
と言うことで今後数回は不要物の整理のために出向くこともあるだろう。

一部には引っ越しが趣味の人もいるみたいだが、私にとっての引越しは何か大きな変化があるときの付随アイテムみたいなもんだ。
こないだの引越しだって自分にとっては大きな大きなイベントに伴うものだ。(まぁ、イベントより先に引っ越したのだが)
前にも書いたが引越しをすればするほど、荷物は減っていく。
当面生活するのに困らなくて、かつ自分の趣味とか楽しみが阻害されない範囲の荷物があればいい。
なんてことを、引越しを繰り返すうちに考えるようになった自分がいる。

◎対して、相方はどうか。
作文や教科書や文集や、何が入っているのか僕には分からないファイルの山が、その成長の記録として、歩んできた人生の足跡として残っていた。
それらの山を見た僕は「うらやましいなぁ」と思う。
僕にはそういうものがほとんど残っていない。
最初に実家を出た時に、それらは全部実家に置いて来たのだが、実家が引越しをした時に、全部それを捨ててしまった。
現実の問題として置く場所は無かった。
取っておいても箱に仕舞われ肥しになるのが関の山だと言うことは十分分かっている。
しかしいざそれが無くなってみると、その時は気づかないが、日常に追われ時間が過ぎる毎に、それらの記憶が薄れていく。
覚えている人はいるかもしれない。
でもそれもまた、いつかは薄れ、美化され、書き換えられ、あいまいになり、いつか消えていく。
いつかそれらを思い出そうとしても、そのときにはもう手に入らないのだ。

◎相方はそんな想い出たちを、そっと戸棚に仕舞っていた。
今は荷物が整理出来無いから、引っ越し荷物を作るときには、その中の箱に仕舞われるのだろう。
そして僕は、今の生活の中で手に入るそれらの「記録」を、「資料」を、片っ端からスキャンして残している。
今までの記録が残らないなら、せめてこれからの記録は残していきたい。
カタチあるものに残すことが無理ならば、せめて情報化された概念としてだけでも残しておく。
大事なのは、カタチの有る無しではなく、そこにそれらの記録が、想い出が、残っているかどうかではないか。

相方はそんな僕の姿を見て、笑っていた。

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