2005/10/31

【Diary】8年土産…4年目

◎4年目の前半は実に「安定」した生活を送っていた。 働きはじめて4年が経過し、経済的にもやっと少し余裕が出てきて、まぁ「自分ひとり食わせていくには不自由しない」程度の収入が確保出来るようになった。 仕事もやっと「ある程度の流れ」が形成され、その中で「自分自身のために使う時間」が捻出され、自分の趣味や嗜好に対してもっともアクティブに動いていた。 しかしそれは逆に言えば生活のマンネリ化の反動で、この時期の日記を読むと、結構そのマンネリ化した生活に対する疎ましさを記した物が時々ある。

◎そんな状況が一変したのは夏が過ぎてからだった。 (結果的には)一度限りの音楽サークル「Orpheus Waltz」が結成され、私も楽曲政策とテクニカルアドバイザーとして参画。 さまざまな人たちと出会い、 自分の人生にとって転機となる出来事を二つ経験した。 おそらくこの年の初めと終わりで、自分自身の価値観や考え方と言ったものが大きく違っていると思う。

◎「自分のことで精一杯」な生活から、「ある程度確立されたシステムの中で自分が何をするべきか」と言う段階に変わってきたとも言える。 この年後半に起こった我武者羅な、あるいは偶発的、必然的な出来事たちは、そんな「自分はどうするべきか」と言う疑問に対する答えを導き出すチャンスであったと思う。 そして今それらの出来事を振り返り、それらを経験して来た事が、今の自分の大きな足跡になっているんだなぁと思えるわけだ。 オブラートに包んだような言い方しか出来ないが…

◎この年の事件と言えば交通事故。 不注意で信号を止まりきれず横断中の自転車を引っ掛けてしまったわけだが、幸い相手にケガも無く、保険金での示談で決着はついたが、免停食らって講習を受けるなど、ちょっと貴重な体験をした。 まぁ一歩間違えれば人生粉砕していたかもしれないので、クルマの運転が生活必需となった現在では、改めて気をつける次第である。

◎そして次は5年目。 4年目で燻った変化への流れが、一気に加速して行きます。

2005/10/27

【Diary】8年土産…3年目

◎この年は何かと賑やかな年だった。 3年目ともなると流石に経済的な余裕が出てきて、購入物品だけを見てもPCがPC98からVAIOに変わり、パソコンラックが入り、音源が入り、コンポを買い…と、物欲散財が本格化。 休日も何かと理由をつけては部屋を飛び出しており、東京で暮らしていた頃の生活スタイルの基礎は大体この年に確立されたと言ってよい。 日記の更新頻度も比較的高く、日々の生活の充実度が伺える。 音楽に関してもこの年の暮れに当時の某サークルに楽曲提供をしたりしている。

◎この年のエピソードとして欠かせないのが落雷事件だ。 要は寮の避雷針に落雷したのだが、転寝していた私は「ついに核戦争が起こった!!」と寝ぼけた頭で勘違いしたものだ。 幸い部屋の機材類には何ら影響は出ず、建物全体も火事に至ったりはしなかったが、落雷に遭うなどと言うことはめったに経験できない(ていうか普通しない)。 ああそういえばこの年、楽曲提供のついでにコミケも参加して売り子をやったんだった。 これもまぁ、めったに経験できないことか…

◎この年は仕事においては大きな転機を迎えた。 昨年から続いていたプロジェクトが中止になってしまい、事業部の方針が大幅変更。 それまでとは全然毛色の違う製品を担当する事になり、ほとんど1から仕事は覚えなおし。 そうかと思えば中止にならなかった継続プロジェクトや、既に市場に出た製品の市場フォロー等に追われ、ほとんど週単位や日単位で異なるテーマの仕事を同時平行するという状態。 仕事にかかる精神的プレッシャーや負荷と言う意味では今のほうがはるかに大きいとはいえ、これだけ大量のテーマを抱えた年は他には無い。

◎と同時に、日記を読み返すと結構体調を崩している。 少なくとも2回は本気で体調を崩したようだ。 私は年に1回熱が出るか出ないかぐらいの健康優良児(って自分で言うかぁ?)なのだが、どうやら仕事のペースに体がついていかなかったようだ。

◎結局のところ「衣食住」や「仕事」「遊び」「趣味」といったものが一通りの歯車となって生活が軌道に乗ったのは、この年からと言えそうだ。 かなり「独身貴族」的な生活だと言える。 まぁ貴族と言うほどハデな遊びをしているわけではない(私は酒も飲まないし女遊びもしないし賭け事もしない。 一体何が楽しみで生活してるんだ? と言われそうだが…) しかし賑やかな一方、この年が一番変革が少ない、ある意味「惰性な1年間」だったかもしれない。 自分では結構この8年を激動で過ごしてきた感じでいたが、日々の生活が賑やかだった分、大きな変化は訪れなかったと言えるだろう。 と言うか、ここからの4年間が、まさに激動の4年間なのだ…。

4年目に続く…

2005/10/26

【Diary】8年土産…2年目

◎2年目、年の頭に引越しがあり、M鷹市役所の近所に引っ越した。 相変わらず会社の寮で、賄いつきである点も同じだったが、一応風呂とトイレは独立型となり、飯時以外はプライバシーが確保されるようになった。 この部屋の特色として、防音が異様に良かったこと、天井が異様に高かったこと、そして窓が異様にでかかったことが上げられる。 防音は今まで住んだ部屋の中では最強で、部屋の中で大音量再生をしても全く外に音が漏れない。 天井高の必要以上の高さは部屋の暗さと寒さをもたらし、窓の大きさは夏の暑さをもたらした。 居住環境としては少々過酷な部屋だったが、ツクリが綺麗で過ごし易く、なんだかんだで茨城出張までの5年間をここで過ごすことになった。

◎このころになると経済状態にも少し余裕が出てきた。 連日の残業でそれなりの給料を得られるようになり、かつ支出が前年度と比較してそれほど大きく変動して居なかったのだ。 なんとかかんとか100万円超の資金を作った私は、念願の車購入を決意。 中古のMR2を購入した。 ちなみにこのMR2、乗り出し価格180万で頭金80万、残り100万を3年ローンで返済したのだが、それでも最初にローンの契約を結ぶときは異様に緊張した。 ちょうどこの頃少し会社の業績が悪化気味だったのも、不安要素だったのだ。

◎8を買ったときもそうだったが、この年はMR2は乗り倒した。 買ったばかりのMR2で早速高松まで単独ドライブに出かけたりした。 今から考えれば、運転ブランク1年強、しかも教習所以来のマニュアル車で2ヶ月サンデードライバーをやっただけで長距離単独ドライブに挑んだのだから蛮勇もいいとこである。 まぁ流石に夜中は怖くて100km/h巡航だったが。 今では高速となると夜だろうが昼だろうがお構いなく140km/hぐらいで巡航してしまう自分が居る。 慣れって怖いね。

◎またこのサイトを設置したのもこの年の7月である。 日記自体は2月から書いていたのだが、電話線の設置等に手間取って結局7月の開設となった。 日記と言いつつ毎日更新しないスタイルはもはやこのころからだったようだ。 この頃の通信状態と言えばまだアナログ56kbpsが全盛で、貧乏人の私にISDNの設置工事など行えるわけも無く、テレホーダイの適用時間をじっと待って夜中にネット接続したものである。 常時接続が当たり前の昨今では考えられない状況だが… しかしふと考えると当時大多数のプロバイダが従量制を採用している中、150時間の定量制(テレホーダイのシステムを考えると、事実上無制限定額制に近い)サービスを実施していたAsahi-Net。 結構、先進的なところなのかもしれない。

◎仕事面では、配属直後から続けていたテーマが春先に終了し夏ごろにはマイナー機とはいえ2年目でメイン担当業務を持つことになり随分と張り切ったものだ。 秋口はその業務と平行してもう一つの製品テーマも(サブで)担当する事になり、実質上2機種のかけもち状態で非常に忙しかった。ほとんど新人で要領のかまし方に慣れて居なかった、と言うのがあるが…(要領が悪いのは、今でも同じか) またこの年、それまで開発部門に属していた自分の部署が解体され、品質保証部門に移る事になった。 それ以後私はずーっと品質保証部門で、同じ仕事を続けている。

3年目エピソードに続く…

2005/10/25

【Diary】8年土産…1年目

◎まずは上京1年目。 新社会人としての期待を胸に東京での生活が…なんて言えれば聞こえがいいが、実際のところは入社研修の寸前に上京したのでマトモに荷物も開梱できないままいきなり研修に突入し、入社式を経ていきなり工場研修に回された。 工場研修は実際の生産現場での作業者フォロー…だったはずが、私が担当していた現場の正規作業員がいきなり退職してしまい、補充も利かずに私が正規作業員として2ヶ月コキ使われる羽目になってしまった。 いきなりの肉体労働生活。 最初の1ヶ月は休日どこにも出かける元気が無かったのを記憶している。

◎最初に住んだのは横田基地の近所にあった会社の寮。 6帖一間のその部屋はお世辞にも広いとは言えなかったが、上京したての荷物が少ない状況では十分だった。 入寮して最初の二日間だけは畳に布団を敷いて寝たが、3日目からは粗大ゴミで拾ってきたパイプベッドになった。 ちなみにそのパイプベッドは、今でも現役で私の部屋に居たりする。

◎1年目はとにかく金の無さに苦しんだ。 少なくとも最初の半年は全く残業していないので、初任給額面どおりの給料しか貰っていない。 当時の私はとりあえず月に2万は貯金しようと心に決めていて、それに月に一度の帰郷の費用と毎日の電話代(当時は相手がPHSで、電話代が高かった!!)が結構サイフを逼迫させており、特に寮の飯が出ない土日は下手をすると1日1食チョコチップクッキーのみ、なんて日もあり、 それは極端としても1日1食吉野屋、と言うのは日常茶飯事だった。 ちなみに私が初任給で買ったのは自転車(これも未だに乗っている)、初ボーナスで買ったのはCPUアクセラレータ(知る人ぞ知るWinChipの200MHz)だった。 あ、そういや当時はPC98使ってたんだっけ…

◎金の無さ、と言う意味ではこんなエピソードもある。 知人宅で夜中まで飲み、いざ帰ろうと思ったら青梅線に直通する終電が終わっており、武蔵小金井で足止めを食ってしまった。 今なら間違いなくタクシーに乗るだろうが、当時の私に1万円近いタクシー代を払う余裕は無く、かといって夜を明かすには適さない時期(11月だったか…とにかく寒かった)だったため、少し酔っていた私は「歩こう!!」と決意。 土地勘のない三多摩地区を4時間近く酷寒の中徘徊した結果、翌日見事に風邪を引いたのだった。

◎今から考えれば、よくあんな状況で生活できていたものだと感心する。 当然ネット環境も無い(そんな貧乏人にネット環境なんて夢のまた夢で、会社事態もそれほどメール等が浸透して居なかった)ので、休日にやる事と言えば自転車で街を徘徊する(都心に出ると電車代を使うので、自転車でよく立川の街に出かけていた)か、自室でテレビゲームに熱中するか、音楽を作っていたかのどれかである。 しかしそういった生活が、ある意味充足感に満ちていたのは、やはり「新生活」の期待感が自分の中にあったからかもしれない。

2年目エピソードに続く…。

2005/10/17

【Diary】オペラ鑑賞

◎相方に連れられオペラ「カルメン」を鑑賞する。 と言うと仰々しく聞こえるが、入場無料、オーケストラはアマチュアバンド、歌詞は全て日本語訳で演ずると言う敷居の低さ。とはいっても演者(ソリスト)は全てプロを起用し、会場もちゃんとしたホール(2階席もある)で行うので、きちんとした内容なのである。 会場に入ると既に1階席は満席。ちょっと遅かったようだ。 仕方なく2階席に陣取るも、席の位置が高すぎてオーケストラピットが見えない。 指揮者が入ってくると拍手が起こるのだが、こちらからはスポットライトの光軌が見えるだけで、指揮者が見えない。 まぁオペラはオケピを見る訳じゃないので良いと言えば良いのだが。

◎「カルメン」の内容やオペラそのものについて云々言うつもりはないが、とりあえず日本人は悲しいかな声量が足りないようで、特に荘厳な演奏がつくエスカミーリョ(エスカミリオ)のバリトンが演奏にかき消されてほとんど聞こえない。歌唱内容が日本語であるがゆえに歌詞の内容を聞き入ろうとしてしまい、余計に「聞こえないな」と言うのが目だってしまう。 これは残念。 しかし、オーケストラの演奏は素晴らしいの一言。 有名な演目で気合が入っていたのか、演奏に勢いがあり、良い意味で音が走っている。 ちょっと走りすぎたりするがそこはご愛嬌。 少なくともアマチュアバンドとしてはかなりのレベルで、音楽そのものを純粋に楽しませてもらった。

◎さて歌劇は佳境を迎え、ドン・ホセとカルメンの最後のやり取りに入ったその瞬間!!
「スゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…」
演出ではなく、リアルで地震が来てしまった。 照明が揺れ、観客がどよめく。 しかし演者や奏者達は繭一つ動かさず(ま、見えたわけでは無いですが)一切乱れず演奏を続け、聖歌隊(休パートだった)は微動だにしない。 地震ごときでは動じない、堂々とした歌劇を楽しませていただきました。

2005/10/07

【Car】車について

◎池袋のアムラックスで新型Vitzの展示車を見る。 運転席に座って見ると、フロントエンドの位置がまったく見えない。 最近のコンパクトカーはトール&ショートボディなので、ボンネットがキツい角度で切り落とされ、運転席からの見切りの視界に入らなくなっている。 フロントウィンドウの下稜線から見切った先端がボディ先端になるようにうまく設計されているのだが、果たしてこのようなパッケージングで車両感覚をどのように掴めば良いのだろう、と少し考えたりした。

◎などと思っていたら、今度は同僚のワゴンRに乗る機会が出来た。 外部機関に試験に行くのに、機材がでかすぎてRX-8には積載出来ないからだ。 そのワゴンR、よく田舎で見かける「ヤン姉仕様」なフルエアロ+白ハンドルカバーと言う、ちょっとヨソの会社に行くには恥ずかしい仕様である。 持ち主は至って真面目な奴なのだが、嫁さんの趣味らしい。 ちなみに通称は「スーパーチョロQ」

◎で、そのワゴンRだが、やはり普段乗っているのが超神経質なRX-8なので、そこからすると全ての反応がダルに感じてしまうのは事実。 ハンドル切っても曲がらないし、アクセルも思いっきり踏まないと加速せず、少々のアクセルコントロールでは車は何の反応も示さない。 ブレーキも、ラフに踏んでも細かく踏んでも利き方は大体一定。(利きが弱いわけではなく、むしろよく利くブレーキではあるが) ただ、不思議とよく走る。 力強いとかそんなんでなくただただ「トコトコと走る」といった感覚。違和感があるのは操作感だけで、走行性能やパッケージングそのものはよく出来ていて、気楽に方の力を抜いて運転できる。

◎少なくとも、運転と言う行為が何かの「手段」であるならば、コレのほうが疲れなくて良い。 RX-8の運転感覚はまさに運転行為そのものが「目的」である人のためのものなので、運転そのものを楽しもうと思っている人には良いが、何かの目的を達する為の手段に使おうと思うと、確かに疲れるだろう。 ではコンパクトカーはどうなのか? 間違いなくこれらも「手段」のデバイスである。 近所に出かける、買い物に行く、遊びに行く…といった目的を達する為の「移動手段」であることがコンパクトカーに求められる最大の命題であり、そこには「目的」の観点からのパッケージングは不要なのだ。