2009/11/30

【Diary】コンタクトレンズ奮闘記

◎最近肩こりというか首の痛みというか,そういうのが取れないなぁ,と思っていたら,先日のデスドライブの際にその原因が判った。
眼鏡が曇っていたのだ,。
9年程前,当時付けていたコンタクトが合わなくなり目に激痛が走り,急遽こしらえたこの眼鏡, 急ごしらえだった為に恐らくレンズのグレードを落としていたのだろう。 傷はあまり無いが表面のコートがボロボロに剥がれて曇り,「真正面」が見えない状態になっている。 あまり気にしないで使っていたのだが,正面が見えない為運転時やPC仕事時に無意識に首を傾げる癖が付いてしまい,それが原因で首に痛みが走っていたのだ。

◎まあ,ちょうどいい機会だ。 眼鏡のデザインも古臭くなってきたし,そろそろ変えるか…と2秒程考え,どうせなら再度コンタクトレンズに戻そうと思い立ったわけだ。 この際思い切ってイメチェンイメチェン。
一応,以前のようにコンタクト「だけ」にすると何かあったときに困るので,眼鏡は眼鏡で同時並行で作ることに。,
と言うわけで思い立ったが吉日,早速土曜日,まずは近所の眼鏡屋へ…いきなり脱線するが,私は実はあの「眼鏡屋」というのがどうにもキライである。暖色系の配色,鏡張りでキラキラした店内,制服着て営業スマイルでニコニコした店員…なんか成金趣味的と言うか,ザーマスオバチャン嗜好というか… 店の外見もそんな感じで,まぁまだ百貨店やショッピングモールの中の店はともかく,街道沿いに建ってる店なんかだと,もうそれだけで足が遠のくと言うものである。

◎で,眼鏡屋に入ると人が居ない。 ま,いつもいないんだが。(何故潰れないのだろう…) 店員が話し掛けてこないのでこっちからコンタクトを作りたい旨を伝えると,「眼科の検診は再来週です」とかサラッと言われてしまう。 別の店では処方箋をもってこいと言う。 えーいわかったもういいお前らには頼まん。 素直に眼科に行くw とはいえ地元の眼科なんぞ知らんので調べると隣町。 しかも駐車場が無い。 まあ,天気もいいから散歩がてら,久々に「列車」に乗る。 都心50km県内で非電化ディーゼルだ!! どどどどど。

◎眼科に入るとすげえ人。 一応事前予約の時点で「65分待ち」なんて言われてたので少し時間を潰してから入ったのだがそれでもすげえ人数。 もう診察時間終わりかけてるんだけどな。 ていうかなんでこんなに眼科に人がいるの。 ウチの近所の小児科が大混雑してるのは判るけど…あれかな,眼科って「急患」とか無いから,平日がヒマで,休日に集中するのかな。

◎人間観察をしつつ待つこと1時間程。 とっくに診察時間が終わった頃にやっと自分の出番になった。 最近は視力検査も進んだもので,あっという間に数値化される。
目医者「どういうタイプのコンタクトがお好みですか?」
細身で足首がしまってて…いや違うw 昔「乱視が酷くてソフトコンタクトに出来ない」といわれたことがあると伝えると
目医者「え,でも殆ど乱視ありませんよ。 矯正必要ない位」
んなバカな。 しかし数値を見ると確かに乱視は殆ど無い。 乱視って治るものなのか…
それどころか若干視力が回復しているらしい。 曇りメガネだと普通視力は落ちるもんだが,どうなってんだ私の目w

◎矯正要らないから別にソフトでもいいですよ,と言われたが,やはり昔使ったことがあるし,手入れが楽なのでハードを選択。 するといきなりテストレンズでのフィッテイングに入る。
目医者「やりましょうか?」
なんか怖いので自分でトライ。 うわー, 8年ぶりにコンタクト装着。 着けるという行為自体超久し振りな上,一瞬あの激痛の記憶がよみがえるが, 意を決して装着してみると…あら,意外にあっさり行くものだ。
目医者「慣れてますねぇ」
そうかも知れない。

◎テストレンズに度は入ってないのでコンタクト+メガネという(ある種本末転倒な)いでたちで待つこと10分。 最も恐れていた激痛は来ない。一安心。 この軽くコロコロした装着感と,瞬きをするたびにズルズルとレンズがズリ落ちてくるのが見えるこの感覚が懐かしい…などと感慨にふけっていたが,どうにも左眼のゴロゴロ感が取れない。 左眼のフィットが出来ていないようだ,。 レンズを交換して待つこと10分。(外し方もしっかり覚えていた) 今度が右目がゴロゴロ。 右目のレンズだけ元に戻すといい感じでフィットした。

◎やはり医者に言わせると「乱視矯正を入れると合わなくなる」そうだ。 要するに,目の形が変わったって事? そうすると,前のコンタクトを装着していた4年間で乱視が矯正されて,目の形が変わってレンズが合わなくなった、と言うことか。
とはいえ一発でここまでフィットが決まってしまう人も珍しいそうで, 実際診察時間より待合時間の方が全然長かったw
お会計を済ませて外に出るともう世間は西日。 目医者は午後休診なのに,私の後にも待合患者がぞろぞろ…がんばれ眼医者。

◎で、今日。 オーダーしてから2日で届くってのも凄いが、ともかく晴れてコンタクトレンズ装着と相成った。 付けてみた結果…うお、15年程前初めてコンタクトを付けたときもそうだったが、世界が美しいw 今まで見えなかったものが見える様になり、最早私の目はハイビジョン状態w
ただ、違和感はアリアリ。 メガネとコンダクトじゃ意識外の視野領域の像の歪み方が全然違うので、動いたりすると物凄く違和感がある。 また目線を移動させると眼鏡だと歪んだままの像を見るが、コンタクトは目線に合わせて歪みが取れるので目を動かすと物凄く世界が動く。 更に今まで眼鏡を通しての像ばかり見ていたので、目線を横切る様な動きの見え方が今までと全然違う。 三半規管狂いっぱなし。 妙なアドレナリン出っぱなし。 まあ、そのうち慣れるだろうけど。

◎それと、これはレンズマッチングなのか慣れなのか矯正度合いの違いなのか解らないが、遠方に対して両目の焦点が合い辛い。 一応、このコンタクトは矯正1.2を狙って作ったので、矯正1.5狙いで作った眼鏡より遠方が見え辛いのは当然なのだが…ただ、通常距離〜近距離での解像力は眼鏡の比ではない。 じいさん宜しく目を遠ざけても新聞が詠める位だ。 そして何より、目線を斜めにしなくてもモノが見えるのがありがたい。 これで私の首も少しは矯正されるだろうか…されるといいな。

2009/11/21

【Music Works】MOTIF開腹手術

◎我が家のマスターキーボード、MOTIF8の鍵盤が1個、戻りが非常に悪くなった。 PCRのように反応しない訳ではなく、鍵盤を押し込んだ後戻ってこなくなったのだ。
8年も使っていれば寿命か、とも思ったが、S90XSを購入するには少し踏ん切りがつかない。 なんて思っているとこんなBlogが。

Studio Light Blue:愛機YAMAHA MOTIF ES8を分解整備する♪

おお、同じような症状に悩んでいたようだ。 こちらで紹介されているのはMOTIF ES8だったが、MOTIF以後のYAMAHAの88鍵モデルはどれも煮た様なボディ構成の為、このBlogの手順なら分解できるだろう。 と言うコトで開腹手術開始。
◎とりあえず本体を止めているビスは全て裏面なので、床に毛布を敷いて餅を設置。 相変わらず重てぇなぁ…
手始めにサイドパネルと裏面の黒いビス・SIMM増設用パネルのビスを全て外すと…

後側のヒンジを軸にパネルがバコンと開いた。 (後から考えると、サイドパネルを外す必要も無かったかも知れない)
この状態から両サイドにあるフロントパネルのビスを外してフロントパネルを外す。 さて、鍵盤はどうやって外そうか。

◎鍵盤全体を手前に引き(ハンマーアクション部との連結を外す)ながら鍵盤の視点を引き上げると簡単に外れ…たのだが、なんとここで鍵盤の根元が割れていた事が判明。この写真では見えないが、実は斜めに切りかかれた部分にクラックが入っており、触っているうちに取れてしまった。
最初は鍵盤をこじった際に割れたのかと思ったが、破断面に応力がかかった跡が見られない。 加水分解だろうか?

◎解放時と打鍵時の写真だが、鍵盤の奏者側から下方向に伸びた部分が、ウェイトを保持している部分と連結されているのが判るだろうか。 今回鍵盤が戻らなくなった理由自体は、この連結部分の油膜切れのようだ。 この部分、良く見るとかみ合い部分は回転運動、底面(黒い部分)は往復運動をしている。 結構複雑な動きをしている様だ。

◎最初はそこらへんに付着していたグリスをかき集めて油膜を上塗りしたのだが現象が戻らない。 どうやらグリス自体も加水してしまったらしい。と言う事で近所のホームセンターでシリコングリスを買って来て塗りたくる。 欠けてしまった鍵盤の視点はアロンで補修。
組み上げて弾いてみると、まだ若干戻りの動作が渋そうな部分はあるが、弾き倒している間に気にならなくなった。 よし、修繕完了!!
ただ、鍵盤そのものが加水分解で割れてしまった可能性があるので、そんなに長くは保たない、と言う事でもある。 やはりS90XSに買い替えないとダメか… 愛着あるんだけどなぁ。

2009/11/20

【Diary】ブーメランブーメランブーメラン♪

素晴らし過ぎる動画を見つけたのでご紹介。

「鳩山由紀夫vs鳩山由紀夫 自らの献金問題を厳しく追及!!」


ニコ動版:

2009/11/16

【Diary】Journeyタグの記事

◎旅行・散歩関連のエントリを集めた【Journey】タグ、何気に67件もエントリが… よく考えたら、ここ数年間、9月〜11月によく旅行に行っている。 そんなに旅行好きでもないし、パックツアー嫌いだから「旅行が趣味」ってわけでもないんだけどなぁ。

◎でもまあ旅行でも出張でも散歩でも何でも、「どこかに行く」のは結構好きかも。 電車も良いし、飛行機もいい。 こないだみたいにてめぇの車で走り回るのもいい。 泊まりもいいし、日帰りでフラッと何処かに行くのもいい。 極端、目的地が無くても良いw 最初は白川郷も「日帰り」を計画していたぐらいだw 早朝に出かけて昼頃着いて観光して夕方に帰途について夜中に家に着く,みたいな感じでw

◎そんで私の「旅」はどちらかというと、旅先で何かをするとかよりも、どこかに行くという行為そのもの…「移動する」ことを楽しんでいるというのは結構ある。 もともとノリモノ好きだしね。 ヒコーキでどっか行くにしても「ヒコーキ」自体が好きだし、駅とか空港とか高速道路とかも好き。 言わば「交通好き」の側面を満たす為に旅をしているのかも。(そのための「Traffic」タグでもある)

◎一方で旅先のコンテンツそのものを楽しみたいなぁというキモチもある。 ああ、どっかまた、海外リゾート行きたいな。 リゾート一人旅ってのも、悪くないかも。 男がやる事かどうかは微妙だけどw

2009/11/12

【Gadget】SH-03Bに見るガラケーの病理

◎SH-04Aの後継機,SH-03Bが発表された。 しかし型番で前後関係が判らないのはちょっとなぁ…
基本的に変更点はデザイン変更及び操作性に関する部分と新サービスに関する部分のみで,後継機と言うよりもマイナーチェンジ機といえるレベル。 というかSH-04Aの完成度が高すぎて,いじる部分が無かったと見るべきだろう。
そいでもってまた,今回いじった場所が,これがまたいただけない仕上がりになってしまっている。
キーボードの改良は良いとしても,このスイーツ臭プンプンなデザイン,なんか一番やっちゃいけないことをやってしまった感じがするのだ。

◎これは個人的な意見だが,このSH-03B,いい端末ではあるが「完成度の高い端末を出すと,そこからいくら改善してもファーストモデルを超えられない」と言う日本のデザイナーの悪癖がモロに出ていると思う。
言い換えれば「ユーザの「要望」を聞くばかりに,デザインをどんどん悪化させていく」とも言える。
全体的に丸みを帯びたデザイン,液晶画面側まで回りこんだボディカラーはいかにも「スイーツ脳」だし,特に私が「最悪だ」と思ったのが操作性改善のために前面に回されたハードウェアキー。 これじゃダメなんだよ。

◎確かにSH-04Aのサイドボタンは扱いづらい。しかし他のガラケーがどんどんガキ化・スイーツ化・悪趣味化していく中で,SH-04Aのクローズド状態で一切ボタンの無い,黒一色のソリッドなデザインはすごく尖っていて,ちょっと近寄りがたく,老若男女関係なく存在感を発揮できる「魅力」を持っていた。
しかしSH-03Bはデザインでガキとスイーツに媚を売ってしまった。 これをやるから,ガラケーは魅力をどんどん無くして行くんだよ。

◎今,本当に成功しているものは「客に尻尾を振ったもの」ではなく,「客が憧れるもの」なのに,どうも日本のモノ作りというのはそれに逆行してしまう。 「技術」でしか人を憧れさせられないから,飽和市場に弱い。 ガラケーが出れば出るほど魅力を失っていく病理は,そんなところにあるのだろう。
「ガラケー」と言うコトバは「ガラパゴス携帯」とともに「ガラの悪い携帯」の意味もあるんじゃないかと思うぐらい。

◎んでまたこの「新サービス」とやらもどうかと思う。 いや,サービスを開始すること自体は構わないのだが,殆どの端末を「2年縛り」で販売している今,新サービスを開始するなら旧端末にも対応させるべきではないか? かつての端末競争期ならともかく,今のガラケーはハードウェア・アーキテクチャの変化は殆ど無いに等しい。 ソフトウェアをいじれば,サービスに対応できるだけのハード素地は充分持っているはずなのだ。
今回Fnキーや↑(Shift)キーのロック機能が追加されたが, ソフト的なキーバインドの変更で出来る機能なのだから,SH-04Aのソフト変更で対応できるはず…だが,まあやらないだろう。

◎このあたりが,日本の端末が「ハードウェア商売」のクセから抜けない証左である。携帯市場が飽和状態になった今,ユーザが求めているのは「新しいハード」でなく「新しいサービス・アプリ」であり,そこで商売をするには何をすべきか,もう一度考え直さない限り,iPhone・Androidの追撃に対抗することなど出来ない。
…まあ,NECのようなキーデバイスを持たないメーカーがAndroid端末を作ったところで知れたもののような気もするが。
そのうちSHARPが作るかなぁ。 ASH高輝度液晶+フルタッチ+QWERTY+Android,だたtらかなり魅力的かも。
…でも今回みたいなデザインはやめてね。

◎唯一期待できることは,SH-0Aの後継が出たことで,iアプリのフルタッチ端末対応が進む可能性が出てきたことか。 iCappuccino等SH-04Aの機能をうまく生かしたアプリもあるが、まだまだiアプリに関しては操作性最悪のバーチャルキー操作を強いられる場合が多い。 SH-03Bの発表・フルタッチ端末ユーザの増加が見込めるなら、これらの改善にも道が開けるだろう。

2009/11/09

【Journey】デスドライブ6日目:史上最悪のデスドライブへ…

◎朝6時起床。 流石に疲れが溜まって来ているが、今日はいよいよ東京・茨城に戻る日だ。 ETC割引を最大限に活かすには23:59までに東京インターを通過すれば良いが、さすがにこのトシになって夜通し走るのもイヤなので朝8時出発。 まあ休憩を少々眺めにとっても評定速度100km/hで休憩合計2時間としても18時には到着出来るだろうと踏んで出発。

◎高松道〜淡路道〜山陽道〜中国縦貫までは実に順調な道行。 途中津田の松原SAでうどん食ってうどん買って(お土産)、淡路でトイレ行ってあとはずーっと快調に走っていたら、大山崎で事故ってて名神の吹田合流から渋滞。 とはいえ渋滞規模は然程でも無く30分程で抜けた。 が、そこは名神である。 交通量がそれまでの道とは比べ物にならず、ETC割引につられて高速デビューしたサンデー一番星ドライバー達が跳梁跋扈する空間になっている。 あのテのサンデードライバーの特徴はとにかく「踏む」。 アクセルもブレーキも全力で踏む。 よって、車間調節が全く出来ない。 あの名神の交通量で前車との車間を詰め過ぎて本線状でパニックブレーキを踏む奴が続出。 そんでまた、そういう車って決まってミニバンなんだよね。 特にアルファード・エルグランドが酷い。 あのテの車ってのはアレかね、運転台高いと自分がエラいとでも思っちゃうのかね。もう気分はトラック一番星野郎なんだろうねきっと。

◎実際の所、私をブチ抜いてすぐパニックブレーキを踏んでるアホファードより、のんびり左車線を流す私の方が速いのだ。そして最悪なのがそういう一番星ミニバンに真後ろに付かれた時。 バカみたいに車線を詰めてくるのは、煽っているつもりなのだろうか。 煽るのは勝手だが、追突するのは勘弁な。 そういう車間調整が全く出来ていないから、当然のように上り坂は渋滞寸前の状態になる。 しかしそうなるのは常に右車線で、左車線は一切そういう事が無い。

◎妙に神経をすり減らしながら名神を抜け、東名に入って上郷で飯を食い、由比で美しい富士山を撮り、足柄で大休憩…と思ったら,足柄の交通情報掲示板に「横浜町田先頭・渋滞25km」の文字。 横浜町田と言う事は、ICからの流出車か、大和TN近辺の上り坂で自然渋滞を起こしているかのどちらかだろう。待ってても良いのだが、どうせ解消に2時間はかかるだろう。 どうせ2時間待つのなら、渋滞にハマっていたって同じだな、と言うコトでとりあえず出発。

◎渋滞末尾は丁度御殿場の山を下り切った所。 追突が怖かったが幸いまだ下り坂が続いている段階から渋滞末尾に入った。 そこから大井松田を過ぎて数kmは40km/h程度で動いたので「以外にすんなり抜けるかな?」と思ったら、ハイウェイラジオから不吉な情報が…
「厚木IC近辺で事故発生」
そこから、ビッタリ動かなくなった。 時計を見ると、18:00に入った頃。 ここから笑っちゃう程動かない。 1台分進むのに5分待ち、といった風情でさっぱり動かない。 路肩を見るとハザード出しながら駆け抜けて行くアホが数台。 何やってるんだよ…と思ってたら、さらに一報。
「秦野中井IC近辺で事故発生」
おいい!! なんで渋滞で事故るんだよ。 アレか? 渋滞がヒマでTV見てたら追突したとかそういうオチか?

◎この事故によって余計に動かなくなった。 何せ、大井松田を通過してから1時間経過しても秦野中井に着かないのだ。 車は全く動かない。 時計の針ばかりが進んでいる。 ヒマなのでtwitterをいじりながらじっと待つ…それにしても動かねぇなぁ。
結局秦野中井を通過したのが7:30過ぎ。 大井松田〜秦野中井が1時間半である。 丁度その頃厚木の事故処理が終わった。 おっ? これで流れるか?
…確かに一瞬流れた。 しかしまたすぐ大渋滞。 ハイウェイラジオの渋滞先頭は海老名SAに移っている…って、モトに戻っただけじゃねぇか!!
しかしさっきまでの状況に比べればまだマシで、チビチビと進んで行く。 MT車にはツラい状況…

◎結局、厚木を超えても渋滞は収まらず、厚木の先5km、渋滞突入から2時間半でやっと抜けた。 平均速度は約4km/h。 自転車より遅いじゃねぇかw
最後の渋滞の原因は、海老名へのトイレ行列だった。 実際、海老名どころか港北PAでも入り口が渋滞。 そりゃああれだけ渋滞すれば、トイレに火が付くよなぁ…
結局、混まなきゃ10時間チョイで着く筈の高松〜東京間が13時間半。 都内某所にたどり着いた私はもう披露と眠気でヘロヘロだった。 最後の最後にこんな試練があろうとは…,

◎と言う訳で足掛け6日間、2200kmに及ぶデスドライブが終了。 まあ、良い事も悪い事も(笑)、再会出来たものも失われてしまったものもいろいろあったが、何はともあれ「楽しかった!!」。 正直こういう旅がもう一度出来るかどうか判らないし、もう一度やりたいかどうかも判らない。 ただ私の中で今回の体験が大きな思い出となり、またこれからの活力になった事、それだけははっきりしている。
さて、気長に社会復帰していくかねぇ。

2009/11/08

【Mobile Diary 】上郷SA

SAPA道の駅のメシ…第何弾?の
上郷SAでカレー。

正直食欲はないんだけど今食っとかないと時間的にね

【Mobile Diary 】うどん

SAPA道の駅のメシ第四弾、
津田の松原SAのうどんで朝食

うどんを朝メシにしようと思ってわざわざホテルの朝メシを抜いたのだ

うどんと、ちくわ天と、おむすび
これが私のご馳走だ

【Journey】デスドライブ5日目:うどんと学祭

◎幻想的な夜が明けて朝6時起床。 今回の旅で唯一「目覚ましをかけた」朝。 理由は勿論、うどん屋だ。 今回回ろうとしているのは去年も行った「がもう」と「たむら」。 宮武が閉めた今、私の中でリファレンスとなるのはやはりこの2軒なのだ。 時間に余裕があれば西讃(というか「なかむら」)に足を伸ばしたかったが今回はこの2軒で妥協。 そのかわり,2軒とも大を食うぞ!! 前日酒飲んだだけで飯を食わなかったのはこの為でもあったのだ。

◎がもうの開店は8:30。 たむらの開店は9:30。 開店直後に行けば行列も少ないだろう、と思ってたら、途中でガソリンの残量がヤバくなって給油してたら出遅れてしまい現地到着8:45…そしたらこの行列ですわ。 ええ。 もう既に50人ぐらい? まあでもさばきが早くてありつくまでに15分。 季節柄みんな暖かいのを食っていたが私は冷たいやつだ。
うん。 宮武なき今、やっぱりここがリファレンスだね。 このイリコダシと、固くないのにコシの強い麺はまさに「さぬきうどん」。大人気店なのがうなずける。

◎そして「たむら」なんと大将高齢につき第二・第四土曜日が休日になったとの張り紙。 しかしこの日は営業日だった。 良かったぁ。 これもクレメント宿泊のお陰か?w
今回食べたうどんは、ダシのカツオ風味が少し弱まっていた。 たむらのダシが好きな私には少し残念ではあったが、でもトータルではやっぱりうまい。 少々文句をつけた所で及第点は遥かに超えたうどんを出す、それでいて「がもう」「山越」程大行列にならない、知る人ぞ知る的な隠れた名店なのがたむらの好きな所だ。

◎さて、うどん屋2軒で両方とも「大」を食ってパンパンになった腹を抱えて一度ホテルに戻って車を仕舞い、学生祭の無料バスに乗ってかつての母校へ。 今回のデスドライブをこの時期にしたのは、この週末に開催された学生祭に合わせたのだ。
夏がしい学生祭。 文化部ハシゴな私はあちこちドタバタ走り回って、それでも凄く楽しんでいたのだが、さてOBの立場になって、もう学生になんて絶対戻れない立場とココロになって、今の私の目にはどう見えてくるのだろうか。

◎私の母校は数年前に国立から独立行政法人に推移して、今年からは香川県内のもう一つの高専「宅間電波」と合併して校名も変わった。 このような変化の中で、私が在学中には無かった民間企業とのコラボレーション活動等が始まっており、今回の学生祭でも企業展示を行っていた。 写真のでかいロボットは四脚歩行がウリになっていたが、自走用のキャタピラも備えている。「だったらキャタピラで移動したほうが重心安定すんじゃね?」というツッコミは無粋である。 夢を売るのが、技術展示というものだ。

◎高専の花形と言えばロボット・コンテストを首としたロボット研究だが、私にとっての高専の思い出はソーラーカー研究だった。 有り難い事にソーラーカー研究は未だ続いていた。 車は流石に再設計したようだが。 私がやっていた頃のソーラーカーは最高速120km/h程度だったが、今では130km/h台まで行っている。 また研究室単位ではノウハウ継承もうまく行かないと言うことで、研究室と部活の合同で活動しているとの事。 その学生に言わせると「自分らで作ったシャーシが最高速更新すると、嬉しい反面、いつぶっ壊れるかと思うと怖い」とのこと。 安心しなさい。 僕らも同じ事を思ってたからw 走るそばから部品バラバラ落ちて行って、最後にはフレームごと分解すんじゃね?なんて思いながら走っていたものだ。(一応、私、サブドライバーでした)

◎技術展示や運動部の露天の賑やかさとは裏腹に、文化部の展示に活気がないのは少し寂しかった。 大体の場合、展示はしているけど特に接客等はせず内輪でだべってるか携帯ゲームをやっているか… まあ、高専の学生の質でなおかつ文化部なら、そーいう資質があるのは昔から判ってるけどね。
かつて私が漫研の企画・編集をやっていた頃は、そういう素地が見えていたから普段はゲームしてようがどこに遊びに行こうがOKだったが、本を作る段階では「やるべきことはちゃんとやれ」の精神で授業サボらせてでも部員のケツを叩きまくっていたものだった。 忘れもしない3年生の時、部活で徒党を組んでTRPGにハマって制作も何もしなかった連中を「部を分裂させて同好会化させる」と言う手段を採ってまで追放したりもした。 文化部は文化祭で活動成果を出さなければ存在価値はない、と散々皆に言い聞かせていたものだった。
自分がやっていた事が正しかった,とは言わないが、あの活気のない文化部展示は、少し寂しいものを感じるのであった。
あ、ちなみに、そんな感じで各部で辣腕を振るった私だったが、どれ一つとして部長とかそういう代表にはなったこと無いですw

◎そして今回の学生祭で嬉しい偶然があった。 合併に伴う校名変更に合わせて、初めて学生祭で「卒業生の集い」的なイベントが開催されていたのだ。 懇親会に顔を出すと、同期や後輩こそ居なかったが、退官なされた方やお世話になった教官方と旧交を温める事が出来た。 そして展示された正門のパネルが、時代の移り変わりを感じさせた。
校内を散策すると、新しく出来た建物もあるし、外見も中身もさっぱり変わらない建物もあった。懐かしい…と言うよりも、この空間が、この空気が、時代や校名や体制が変わっても残り続けている事が私には嬉しかった。

◎と言うよりも今回の旅全体がそうだった。 白川郷の寄り道以外は基本的に「自分のルーツを巡る旅」…固定されたふるさとを持たない私にとって望郷すべき場所も、そこに置き忘れたものもいろいろな所に散らばっていて、なかなかそれらを確かめに行く時間も手段も確保できなかったのが、様々な偶然が重なって今回それが実現して、そこで得たものは「残るものは、残り続けている。」と言う事実だった。 カタチあるものはいつか変わって行くが、その中でも大切なものが変わっていないことが、私にはとても嬉しかった。 うん、いい旅だった。

◎こうしてこの日は充足感と共に宿に戻り、旧友と焼き肉を囲んでバカ話をして、あとは帰るのみ。 もうあと残されている事は無事に東京まで800km程を走破することだったのだが…そこで壮絶なオチが待っていた。 それは次回。

2009/11/07

【Mobile Diary 】行列

開店直後に来たのにこの行列!!

<追記>あっぶねー、本名割れてた…

【Journey】デスドライブ4日目:二日がかりの大移動・後編

◎朝7時起床。 シャワーを浴びて、久しぶりに洋食の朝飯を食む。 普段パン食なので、あまり和朝食は食い慣れてないんだよね。 たまごかけご飯だったらいくらでも食うけどw
さて、今日は「行程表真っ白」の二日目。 倉敷を回って、最終的に夕方に高松にたどり着ければそれで良いので、どうしようか考える…うちに9時過ぎになっており、今から行けば丁度いい時間じゃないかと気がつくw ホテルの朝はのんびりしていていいね。

◎と言うコトで岡山県に向けて出発。 行程をナビ任せにしたら、第二神明回りのルートになった。 てっきり垂水から山陽道に入ると思っていたのに…確かに距離的には第二神明〜加古川バイパス経由のほうが近いんだけど、混むわ料金所多いわであまりいい道じゃないんだよね。 ここでイライラしてたのが、後で山陽道で覆面に捕まった原因なんだなw ちくしょー!!w
まあ、言い訳はしないけど、ただでさえあまり良くない私の中での「岡山県のイメージ」が更に悪くなったw

◎実のところ私はかつて暮らした地、岡山県にいいイメージを持ってない。中学3年の夏休みなんて中途半端な時期に転校、しかもコンサバな価値観の田舎にいきなり「都会しか知らない」価値観の奴が来たもんだから、学校にはあまり馴染めなかったし休日もこれといって楽しめる事が無かった。(中学生の身分でやれる事なんて知れているしねぇ)。
関西と広島を足して2で割った様なトゲトゲした方言も好きになれず、 讃岐弁は一発で身に付いたのに、最後まで岡山の方言を学ぶ事は無かった。
その後高松に通う様になると岡山では殆ど何もせず、休日は香川の友人と香川県でばかり遊んでいた。 地元に友達は居ないから成人式も行かなかったし、正直、岡山県に対しては「よそ者に対する疎外感」を肌で感じた、といったネガティブイメージしか無い。

◎とはいえ白壁の街・倉敷に暮らしていたのは確かで、今なら少し違った目線で見れるかも知れない。 と言うコトで目指したのは美観地区…の前に岡山で最初に暮らしていた住宅街。 しかしここで驚愕の事実。 当時この住宅街と言えば「終戦直後をそのまま持ってきた様な長屋」が立ち並び(写真の奥のほうに、一部その建物が残っている)、その中に忽然と新築の戸建てが並ぶ(どうやら、住宅展示場を転用したらしい)という異様な地域だったのだが、かつて私が暮らしていた家を含めて、戸建ての住宅街には「誰も住んでいなかった」。 草の伸び方からすると少なくとも1年は放置されている。
住宅街をくまなく回ってみたが、20軒程の戸建てに、誰も住んでいない。周囲は長屋から立て替えられた団地(この建物がまた要塞みたいで、異様というか悪趣味というか…)や当時空き地だった場所に立てられた新築住宅でにぎわう中、その一角だけ完全に打ち捨てられ、ほぼ廃墟といった雰囲気に包まれていた。一体何があったのだろうか。 私にそれを知る術は無い。

◎団地を早々に後にして倉敷駅前へ。 (私の)銀行を探すが無い… やっぱりねと思いつつ、足は自然とアーケード街へ。 観光地ではあるもののやはり何もかもが微妙に中途半端な倉敷の街。 地方商店街のご多分に漏れずアーケードはシャッター街と化し、かつて私が通ったゲーセンや、夢を馳せた楽器屋はどちらも潰れて飲み屋になってそれすら潰れていた。大型店舗だったと思しき建物は、シャッター街に名物の「憩いの広場」になっていたが、かつてここに何が居たのかは思い出せない。

◎アーケードを抜けると、倉敷美観地区へ出る。 ティーンエイジャーだった昔の私には一体何が良いのかさっぱり判らなかったが、30超えて純粋な観光客として来てみると、なかなか悪くない。 景観を楽しめる程には、私も老けたと言う事か。
とはいえこの美観地区と後楽園ぐらいしかコンテンツの無い岡山県。 倉敷駅の北側にはかつてチボリ公園があったが閉園された。 本当にこの先、どうするんだろう。

◎さて、そんな私にとってあまり良い思い出の無い「岡山県」において私が唯一故郷を感じられる地がある。 このBlogの前身…「Tokyo Diary」を始めた頃にはまだ存在していた私の「実家」のある地へ赴く。東京に出てから10年以上、寄り付いていなかった場所だ。
まずはかつて住んでいた家を撮ろう…と思っていた際、ふと目に入ったお好み焼き屋。 なんと!! まだ営業していたのか。 土日となるとこの店にはよく家族で来ていたものだ。 思わず飛び込む。 メニューも何も変わっていない。 店員さんは…憶えてないけど、おそらく変わっていない。 倉敷の町の変わりっぷり(廃れっぷり)からすると、もとから廃れ気味だったこの町は、それ以上廃れる事も栄える事も無く、10年以上の時をそのまま流れ続けていた。 きっとこのまま夕方を待てば、時報のサイレンと「告別式のお知らせ」とか言う縁起でもない町内放送がかかるのだろう。

◎殆ど風景の変わらない街道を走ると、瀬戸内海と瀬戸大橋が目に飛び込んでくる。 ああ、懐かしいなぁ。 でもこの橋に全然物珍しさを感じないんだよね。 なんせ毎日、コレ渡って通学してたからなぁw でもやっぱりここからの風景は美しい。 普通、美しい風景を持つ土地に住んでても「灯台下暗し」であまりその印象は無いものだが、住んでいた当時からこの鷲羽山から眺める瀬戸大橋は好きだった。 特にこの土地に住んだ頃に丁度車の免許を取って、とにかくいろいろ走り回って、事ある毎にこの海を眺めていたものだ。 今のエバラキ住まいでは海眺めようにも片道1時間半コースである。 ああ、やっぱり海の傍に住みたいなぁ。

◎10年振りの風景をカメラに収めた所で瀬戸大橋を渡り、今回の旅の最終目的地、ホテルクレメント高松に到着。 今回の旅行、白川郷の民宿とここだけは事前に押さえておいたのだ。 決して安いホテルでなく、むしろ贅沢なホテルだが、ここだけはちゃんとしておきたかったのだ。全日空マイルカードで割引効くしね。
と、ここで思わぬラッキーが。 当然シングルルーム予約をしていたのだが、ブッキングの関係でなんとダブルルームがセッティングされた。 うおお、広ぇぜ!! 前に泊まった時もいいことがあったし、俺ぁこれからもクレメントを使うぜ!! ちょっと高いけどね。

◎とっぷりと日が暮れた高松の港の夜景をパチパチ撮った後は、ここまでのロングドライブを(自分で)労う意味で、ホテル最上階のラウンジバーで一杯。 階下のスカイレストランの吹き抜けを通して、ピアノ・ラウンジの生演奏が迎えてくれた。
さて、明日は今回の旅の最後の目的、さぬきうどんミニツアーと、学生祭だ!!

2009/11/05

【Journey】デスドライブ3日目:二日がかりの大移動・前編

◎朝6時起床。寒いっ!! さすが山ん中。 真冬かと思える気温で目が覚める。 いてもたっても居られずストーブon+朝風呂で体を温めると、「ごはんですよ〜」の声。 早速広間に降りてみると何か様子が違う。 どうやら、私以外の団体客を呼んだ様だw 名前呼んでくれよw
昨日の晩飯の量が物凄かったので朝飯も凄いのかと思ったら量は普通だった。 葱とニラのみそ焼きが(,,゚д゚)ウマー。
それにしても私の部屋の回りには賑やかな団体客がたくさん居た。 登山客だろうか? どうやら常連さんだったらしい。

◎さて行程の決まっていない二日間、とりあえずは五箇山の集落目指してレッツゴー。 高速で行ってもいいのだがここはあえて下道でドンドコ走って行く。 やはり農業従事者が多いのか、朝でも全然車が走っていない。 あっという間に五箇山インターを過ぎ、菅沼集落に到着。 …やっぱり誰もいねーw しかも時間が早過ぎて、集落の店もどこもやってないw まあ、店で何かをする気もなかったけど。
駐車場からてふてふ歩くと庄川の見事な景観が。 いいね、紅葉の季節。

◎菅沼の集落は、白川郷のそれよりは素朴で小じんまりとしていた。 というかあまりにも小さくまとまり過ぎてて、かえって「見せ物」的な印象。観光地化の度合いという意味では白川郷のほうがよっぽど観光地化されてるのに、どちらかというと白川郷のほうがナチュラルに見えてくるのは何故か。 やはり周囲の田んぼとのコントラストの差ってことかなぁ。
パチパチと写真を撮っているとぼちぼちと人が増え始め、観光バスからは中国人観光客がぞろぞろと降りてくる。 最近はもう中国人観光客も珍しくなくなったなぁ。 主要都市の案内看板に中韓対応が増える訳だよ。(別に英語でいい気もするけど…)

◎しかしまぁ昨日も書いたけど、勿論中国人観光客のマナーの問題もあるんだけど、判らないだろうからって日本語でわざわざ聞こえる様に「うるせえなぁ」とか「鬱陶しいなぁ」とか言う日本人観光客,お前らの方がよっぽど鬱陶しいし恥ずかしいよ。 文句を言うのは勝手だけど、わざわざ眼前で異国のコトバでそれを言う必要性は無いだろう。 それに、意外に判るもんなんだよ、そういうの。
まあ正直、舌をベロンベロン出してソフトクリームを舐めるねぇちゃんには私も「うえっ」って思ったけどさ…そういうのは、胸のうちに仕しまっておくか、仲間うちでのネタにとどめておくもんだよ。 中国行きゃ日本人だってボロクソに言われてるんだから。

◎五箇山をあとにして、さてどこに行こうか。 とりあえず西に向かわないとどうしようもないので東海北陸道を一気に南下。 しかし行きも思ったけど、東海北陸道、走り易いねぇ。 路面も奇麗だし、高低差の割に勾配もカーブも緩やかで走り易い。 それにこれが五箇山や白川郷といった、良く言えば秘境、悪く言えば陸の孤島を連絡してるってのが実に良い。 一般道の道路事情が決して良くない山間部では、こういう高速道路は生活や物流の面で重要度が非常に高いのだ。
そして東海北陸道の道中、ひるがのSAから一宮JCTまでの道中、ず〜っとランドクルーザーにペーサーにされた。 私と同じタイミングで車線変更し、同じタイミングで追い抜きをかけ、常に一定の車間を保ってついてきていたランクル…そういえば私も初めて東京〜高松間をロングランした時、不安と緊張を和らげる為にずーっとどこかの営業車をペーサーに走ったっけ。 あれから約10年、人にペーサー扱いして貰えるぐらいには、私の運転も人様に認められるようになったということか。

◎最初は家主の不在のスキに再度、愛知の某夫妻宅を襲撃しようかとか思ったけど夫妻宅の詳細な位置が判ってないのでそれはヤメにして、黒豚まんをほうばりつつ名神高速を西進。 名神、オービス減ったねぇ。 昔はフェイク含めてオービス看板がやたらと多かったけど、今は看板を気にせずスイスイ走れる。 正直言ってあの看板、ヘンに緊張を強いるからイヤだったんだよね。
そして栗東のあたりでふと「墓参りに行こう」と思い立つ。 私の母方の実家は京都。 祖母の墓は京都のお寺にあるため、なかなか行く機会も無かった(数年前の17回忌以来、行ってない)ので機会としては丁度良い。 時間も昼過ぎで余裕はたっぷりある。
と言う事で急遽京都南ICを下り、一路四条大宮へ。 このあたりからは「かつて親の車に乗せてもらって眺めた風景」を自分で走る事になる。 今回の旅、白川郷に行くのともう一つの目的が「かつて誰かに連れられた風景を、自分で走ってみる」のが目的なのだ。(もう一つの目的は、明日達成予定)
京都の市街は初めて走ったが、東京に比べるとはるかに…走りにくい。 タクシーとバスが東京以上の無法地帯なのね。

◎四条大宮駅近辺のパーキングに車を放り込み、さて、人に釣れられてしかお寺に行った事が無いので場所が分からんw 四条大宮の駅の脇道を歩いて行ったのは憶えているんだが…探しまわること数十分、何とか見つけ出しました。 蛸薬師通かと思ってたら,錦通りだったのね。 これ河原町方向にドンドコ行ったら有次があるぞ。 包丁欲しいけど、そんなムダ使いをしているお金はないのでサクッと墓参り。 お花も何も無かったけれど、近況報告を兼ねてじっくりと手を合わせてきました。
その後木屋町通に寄って高瀬川や鴨川の写真をパチパチ撮影。 鴨川の四条近辺も懐かしいなぁ。 私が子供の頃は、今の川端通あたりを京阪電車が走ってたんだよね。 あの狭い川岸を…今から思うとちょっと信じられない風景。 でもあれが風流だったんだよね。

◎名神に戻って一路神戸へ。 宿が決まっていないので「ほぼ確実にビジネスホテルが確保出来る」神戸を今日の宿泊地にすることにした。
神戸に着いてまず立ち寄ったのがかつて私が住んでいた某社宅…だったのだが、なんと取り壊されていた。 ガーン…
しかも小学校に立ち寄ってみると、児童がみな私服!! なんてこったい。 私の頃は体操服通学だったのに…

◎アテにしていた東横インがまさかの満室で焦ったが、然程遠くない位置にビジネスホテルを確保。 「神戸ならでは」のメシなんか食うお金もないので適当に晩飯を済ませ、今日の移動は終了。 さて明日は、今回の旅第二のハイライト、倉敷へGoだ。

【Journey】デスドライブ二日目:白川郷へ…

◎いつも通りの平日であるが如く、6時起床w 前日5時起きして高束縛そうしたにしては元気だな俺。
今日の目的地は今回の旅のハイライト「白川郷」。世界遺産・合掌造りの里、一度訪れてみたかった場所だ。 山道を抜けて行くなんて、一人旅にはもってこいの場所じゃないか。
気温が上がるのを待ってホテルを出発、まずは「大名古屋ビルヂング」を写真に収めておく。 何故「大」名古屋なのだろう。 大練馬みたいなもんか?

◎名古屋からは然程遠くなく、東海北陸道で150km程。 前日トバし過ぎて少々疲れた&燃費が悲しい位伸びなかった反省で今日はのんびりドライブ…と、東海北陸道に入った途端に見えてくる怪しい「観覧車」。 誘われる様に高速を降りてみると…怖ぇよこの人形!! 工事区間なんかによくある旗を振る人形なのだが、NEXCOの中の人ももう少し考えようよ。 こんなもん撮影するために態々車を止める私も私だが。

◎高速は空いていた。 やはり平日だけあってみんな節制した走り方をするのでこちらも実に走り易い。ドンドコ走る事1時間、途中休憩にひるがの高原SAに降りると、いるわいるわじさまばさまの群れ。 女子トイレにはばさまの行列が物凄い人数。 ありゃ最後尾からトイレに入るまで20分はかかるぞ…
「PASA道の駅のめし」を探したのだがめぼしいものが無く、地元の米で作ったおにぎりを頂いて早々に出発…したらいきなり庄川ICに着いてしまったw

◎そのまま白川郷ICまで走り抜けても良いのだが地図上物凄い迂回をしているのと、どうせなら下道で行くのも良いよな、と言うコトで国道156号を北上すると…いいねえいいねえ紅葉の高原!! 思わずBGMをそれまでのバカラジオから、かつてモルディブに行った際に頂戴したKevin KernのCDにスイッチ。 リゾートで聴いたヒーリング音楽が似合う風景ってすごい。
ちなみにこの国道156号、地元スラングでは「イチコロ号」と言うらしいが、その由来がただの語呂合わせかと思ったら、「谷に落ちたらイチコロ」だそうだ。 確かに道幅は狭いわコーナー多いわトンネルだらけだわで、なかなかの難所。 舗装は結構良いのだけれど。

◎途中車を止めて写真を撮りつつドンドコ走る事30分。 白川郷に到着。駐車場からの壮大な眺めをカメラに収めつつてふてふ歩くと…いきなり合掌造りの集落がお出迎え。 すげぇ!! もうカメラマン魂炸裂。 そこら中で写真を撮影…するのはいいのだが、やたらいるわいるわ中国人観光客。 ま、いいんだけど。 むしろ中国人だと思って「うるせぇよ」とか「どっか行けよ」とかボソッと日本語で言う日本人観光客のほうが恥ずかしい。 ていうか中産階級の中国人って以外と日本語知ってるぞ。 どうなっても知らんぞお前ら…

◎集落の中心はお土産屋が立ち並び、紅葉と合掌造りの家々が見事なコントラストを描いていたが、どうせならこれを一望してみたい。 ふと見ると「展望台」の文字。 上を見ると確かに展望台はあるが、えらく高い場所にある… まあ、特に予定は無いので登ってみるか、と思いついたのが運のツキ。
展望台までの道ってのが㌧でもない獣道&坂道。 まかり間違ってもロングコートとリーガルシューズで登るような道ではなかったw ゼエゼエ言いながら登って行くと…そこは絶景。 まるで「日本むかしばなし」に出てくる集落だ。

◎展望台からの横道はちゃんと舗装されていて、紅葉狩りを楽しみつつ山を下ると白川郷の田んぼのど真ん中に出る。 そこらの家の障子を開けるとじさまとばさまが囲炉裏を囲んでいそうな勢い。 回りのススキヶ原と合掌造りと紅葉と、傾いた太陽のコントラストがたまらない。 もしかしたら、一番いい時期に来たのかも知れない。 天気が良くて良かった。




〜〜〜
◎さて、本日のお宿は白川郷から10km程戻った「平瀬温泉郷」の民宿。 いいね、温泉宿。
チェックインがかなり早かったのでのんびりしつつひと風呂浴びて、前日分含めて写真現像作業も終了。 ネット環境無いから現像と日記書きに集中できるぜ。
そして晩飯。山の幸をふんだんに使った晩飯がうまい…うまい…うまい…んだけどすげぇ量!! 出された以上は残さず食べる!! のが信条の私。 ムリして食ったら動けなくなったw

◎写真現像をしつつ腹が納まるのを待つ事2時間、もうひと風呂浴びに浴室へ…そういえば露天風呂があるって言ってたな。 ちょいと除いてみると…どう見ても、道端の池w 手を突っ込むと温かいけど、道端じゃあ入る勇気がないな…(一応、岩で隠れちゃいるけどね) と言うコトで普通に入浴。 やっぱ温泉宿はこれが楽しみじゃあ。

◎さて、明日はどこへ行こうか。 朝、五箇山に行こうとは思ってるけど、その後が完全に未定。 宿もどこにするかも未定。 はたしてこんなので、二日後に高松にたどり着く事が出来るのか?w

【Mobile Diary 】黒豚まん

名神・養老SAなう
SAPA道の駅のメシ第三弾 黒豚まん

でかくて熱くてジューシーですな

2009/11/04

【Mobile Diary 】白川郷

ロングコートとリーガルシューズで歩くもんじゃ無いような
山道を登るとそこには
日本むかしばなしの絶景があった。

【Mobile Diary 】串

飛騨牛串と五平餅

くるみだれがうまい
牛も柔らかくていいね

【Mobile Diary 】おにぎり

ひるがの高原SAなう。
PASA道の駅のうまいメシ第二弾…といってもめぼしいものが無い中見つけたおにぎり。
米と味噌が(,,゜д゜)ウマー

2009/11/03

【Journey】デスドライブ1日目:現地レポ@名古屋

※写真現像の気力が無いので現時点では文字のみ。 帰宅・現像後追加予定。→11/5 写真追加しますた

◎と言う訳で旅の一日目、今日は黒丸親分夫妻(しかし、私の中では未だに「電親分」)を襲撃すべく愛知県を目指し中央道を爆走。 と言うか東名道で行っても良かったのだが、11km程距離が短いのと、「甲府以西に中央道で行った事が無い」、「どうせ帰りは東名で帰るんだから行き位中央道で行こう」と言う事で中央道になったのだが…甲府〜諏訪の上り坂区間で激しく後悔。 RX-8みたいに下の無い車で山あいの高速がこんなにツラいとは知らなんだ… ぬうわkm/h巡航が出来なくなっているのは、車のせいか、年のせいか。
冷静になって考えてみりゃぁ11km距離が長くても評定速度は恐らく東名の方が速いので所要時間は変わらなかっただろうし、おそらく燃費ももっと有利だったろう。

◎もう何回も車で東名・名神は走破してるので、「道さえ混まなきゃ4時間程で走破可能」と言う事は判っていた筈なのだが、私の中でどういう変換をされたのか「6時間かかる」と認識されてしまい、朝6時にスタートし、途中諏訪湖のICで縄文おやきをほうばりつつ現地到着が10:30…勿論高速料金は1000円だ。 それ自体は有り難いのだが、やはりこの高速1000円のアオリで盆暮(ぼんくら)ドライバーやジジババドライバーが幅を利かせていて実に高速本線が無法地帯。 下り坂区間で急にレーンチェンジされてパニックブレーキ踏むわ、上り坂になれば確実に失速→行列になるわ、車間バカ詰めされるわ…やっぱり料金の事さえ気にしなければ夜中に走るのが一番いいなぁ。

◎そんなこんなで愛知県某所に到着し、黒丸夫妻とご対面。 黒丸親分と顔を合わせるのは実に…8年振り!!勿論奥様は初顔会わせ。 何気に誕生日が私とまったく同じだったりするわけだが。
ファミレスで昼食がてらお喋りをしたところで、今日の目的地、日本モンキーパークへ。 何故動物園に? 実はここ、まったく記憶が無いのだが私が2歳か3歳の時に訪れており、どんな場所だったのかすごーく気になっていたのだ。 勿論30年近くも経過しているので中身は変わっているだろうが、「かつて自分が通った道を自分で通ってみる」という今回のコンセプトに合致するのでここにご案内頂いたわけだ。

◎で、そのモンキーパーク、サル専門の動物園と言うだけあって世界各国のサルが見れる。サルというとどーしてもニホンザルが頭をよぎってしまうが、キツネザルとかマーモセットとかは純粋にかわいい。 と言うかマーモセットまで行くと、もはやサルと言うより愛玩系の小動物だねこりゃ。 ヘビとかワニとか飼っちゃう様な珍ペット好きには堪らないかも。
一方でゴリラ。 我々が見たゴリラは客に背を向け胡座をかき、時折こちらを振り向くという「何やら渋さの漂った」奴なのだが、時折見せる、おそらく餌を剥いているのであろう…胡座を書いて俯いて腹あたりに置いた手をゴソゴソやっている姿を後ろから見ると…なんかこう…山積みのクリネックスとでも言うべきか、寂しい男の営みを見る様で、私は一人でウケていたw

◎モンキーパーク自体はリニューアルを繰り返しているのか、大昔行った当時の「面影」はついに私の頭に浮かんでくる事は無かったが、それでも時折ふっと記憶がフラッシュバックする瞬間があった。 やはり私は間違いなくここに来ていたのだ。 そういえば「日本ライン下り」なんて川遊びもしたっけか。 これも「した」と言う事だけは憶えているのだが。

◎そして黒丸夫妻。 モンキーパークから「何やら怪しい喫茶店」に河岸を移して音楽話と機材話とバカ話でいろいろ盛り上げさせて頂いたが、やはり「仲睦まじい二人」を見るのはこちらも幸せな気分になれるものである。 親分は私にとって数少ない「サシで音楽話が出来る間」だし、奥様も私にいろいろ気を使ってくれて、非常に楽しい時間を過ごさせて頂いた。 これは関東にいらした時は是非東京観光案内をせねば。 コースを考えとこう。 松・竹・梅・裏・闇… なんだ最後の二つは。
そういえば「黒丸家Apple化計画」の伏線も張っておかねばw やはりmac信者は布教活動をせねばなっ!!w

◎夫妻と別れた後は今日の宿確保と言うコトで、「確実にビジネスホテルがある街」名古屋の市街へ。 名古屋の街なんぞ知らんのでまあ「駅近辺ならなんとかなるだろ」と言う目論見通り、名古屋駅前の東横インをゲット。 このテのビジネスホテルは予約が無くても飛び込みで確実に泊まれるのだよふっふっふ。 ネット環境も確保できるし言う事無し。
そして「名古屋に来たならば」ときしめんを食す。 (,,゚д゚)ウマー。

◎さて、明日は秘境の地へ行ってきます。 おそらく明日はネット環境の無い場所なので(宿は予約済)、レポは明後日。

【Mobile Diary 】あるがね〜

これがあの有名な、大名古屋ビルヂングかっ!!

【Mobile Diary 】きしめん

今日の宿泊地は名古屋。
うどん好きの私が名古屋に来たら食うものはこれしか無いだろ!!
というわけできしめん、天むすセット。

コシという言葉とは無縁だけど
こういう食感も良いね。
つゆ(だし?)も結構好み。関東のうどんよりうまいよこれ。

【Mobile Diary 】おやき

中央道・諏訪湖SAなう。

道中のSAPA道の駅のメシ第一弾、縄文おやき。
ちょっと固めの中華まんって感じ。
左側は具がなんと「野沢菜」。
お味は… そのまんまって感じw

2009/11/02

【Diary】さて。

◎明日から暫く旅行に出かけます。 行き先は・・・あらかた決まっているが実は途中の宿やルートを「そのときの気分任せ」でクルマを走らせようと言う、ある種無謀、ある種贅沢なドライブ。 これぞまさしくデスドライブ!!
前々からこういう旅行はしてみたかったのだが休暇と先立つものと背負うものの関係で実現できなかったが、勤続休暇で小金が入ってヒマも出来て背負う物も無くて、やるなら今しかねぇ!! ってことで先月急遽決定w

◎お気に入りの音楽とバカラジオをiPodに詰め込んで、いざ出発。
・・・とりあえず11/4以外はインターネット環境のある場所を確保する予定なので、都度レポート予定。
あ、カメラのレンズ、磨いとかなきゃ・・・