【Journey】デスドライブ5日目:うどんと学祭
◎幻想的な夜が明けて朝6時起床。 今回の旅で唯一「目覚ましをかけた」朝。 理由は勿論、うどん屋だ。 今回回ろうとしているのは去年も行った「がもう」と「たむら」。 宮武が閉めた今、私の中でリファレンスとなるのはやはりこの2軒なのだ。 時間に余裕があれば西讃(というか「なかむら」)に足を伸ばしたかったが今回はこの2軒で妥協。 そのかわり,2軒とも大を食うぞ!! 前日酒飲んだだけで飯を食わなかったのはこの為でもあったのだ。
◎がもうの開店は8:30。 たむらの開店は9:30。 開店直後に行けば行列も少ないだろう、と思ってたら、途中でガソリンの残量がヤバくなって給油してたら出遅れてしまい現地到着8:45…そしたらこの行列ですわ。 ええ。 もう既に50人ぐらい? まあでもさばきが早くてありつくまでに15分。 季節柄みんな暖かいのを食っていたが私は冷たいやつだ。
うん。 宮武なき今、やっぱりここがリファレンスだね。 このイリコダシと、固くないのにコシの強い麺はまさに「さぬきうどん」。大人気店なのがうなずける。
◎そして「たむら」なんと大将高齢につき第二・第四土曜日が休日になったとの張り紙。 しかしこの日は営業日だった。 良かったぁ。 これもクレメント宿泊のお陰か?w
今回食べたうどんは、ダシのカツオ風味が少し弱まっていた。 たむらのダシが好きな私には少し残念ではあったが、でもトータルではやっぱりうまい。 少々文句をつけた所で及第点は遥かに超えたうどんを出す、それでいて「がもう」「山越」程大行列にならない、知る人ぞ知る的な隠れた名店なのがたむらの好きな所だ。
◎さて、うどん屋2軒で両方とも「大」を食ってパンパンになった腹を抱えて一度ホテルに戻って車を仕舞い、学生祭の無料バスに乗ってかつての母校へ。 今回のデスドライブをこの時期にしたのは、この週末に開催された学生祭に合わせたのだ。
夏がしい学生祭。 文化部ハシゴな私はあちこちドタバタ走り回って、それでも凄く楽しんでいたのだが、さてOBの立場になって、もう学生になんて絶対戻れない立場とココロになって、今の私の目にはどう見えてくるのだろうか。
◎私の母校は数年前に国立から独立行政法人に推移して、今年からは香川県内のもう一つの高専「宅間電波」と合併して校名も変わった。 このような変化の中で、私が在学中には無かった民間企業とのコラボレーション活動等が始まっており、今回の学生祭でも企業展示を行っていた。 写真のでかいロボットは四脚歩行がウリになっていたが、自走用のキャタピラも備えている。「だったらキャタピラで移動したほうが重心安定すんじゃね?」というツッコミは無粋である。 夢を売るのが、技術展示というものだ。
◎高専の花形と言えばロボット・コンテストを首としたロボット研究だが、私にとっての高専の思い出はソーラーカー研究だった。 有り難い事にソーラーカー研究は未だ続いていた。 車は流石に再設計したようだが。 私がやっていた頃のソーラーカーは最高速120km/h程度だったが、今では130km/h台まで行っている。 また研究室単位ではノウハウ継承もうまく行かないと言うことで、研究室と部活の合同で活動しているとの事。 その学生に言わせると「自分らで作ったシャーシが最高速更新すると、嬉しい反面、いつぶっ壊れるかと思うと怖い」とのこと。 安心しなさい。 僕らも同じ事を思ってたからw 走るそばから部品バラバラ落ちて行って、最後にはフレームごと分解すんじゃね?なんて思いながら走っていたものだ。(一応、私、サブドライバーでした)
◎技術展示や運動部の露天の賑やかさとは裏腹に、文化部の展示に活気がないのは少し寂しかった。 大体の場合、展示はしているけど特に接客等はせず内輪でだべってるか携帯ゲームをやっているか… まあ、高専の学生の質でなおかつ文化部なら、そーいう資質があるのは昔から判ってるけどね。
かつて私が漫研の企画・編集をやっていた頃は、そういう素地が見えていたから普段はゲームしてようがどこに遊びに行こうがOKだったが、本を作る段階では「やるべきことはちゃんとやれ」の精神で授業サボらせてでも部員のケツを叩きまくっていたものだった。 忘れもしない3年生の時、部活で徒党を組んでTRPGにハマって制作も何もしなかった連中を「部を分裂させて同好会化させる」と言う手段を採ってまで追放したりもした。 文化部は文化祭で活動成果を出さなければ存在価値はない、と散々皆に言い聞かせていたものだった。
自分がやっていた事が正しかった,とは言わないが、あの活気のない文化部展示は、少し寂しいものを感じるのであった。
あ、ちなみに、そんな感じで各部で辣腕を振るった私だったが、どれ一つとして部長とかそういう代表にはなったこと無いですw
◎そして今回の学生祭で嬉しい偶然があった。 合併に伴う校名変更に合わせて、初めて学生祭で「卒業生の集い」的なイベントが開催されていたのだ。 懇親会に顔を出すと、同期や後輩こそ居なかったが、退官なされた方やお世話になった教官方と旧交を温める事が出来た。 そして展示された正門のパネルが、時代の移り変わりを感じさせた。
校内を散策すると、新しく出来た建物もあるし、外見も中身もさっぱり変わらない建物もあった。懐かしい…と言うよりも、この空間が、この空気が、時代や校名や体制が変わっても残り続けている事が私には嬉しかった。
◎と言うよりも今回の旅全体がそうだった。 白川郷の寄り道以外は基本的に「自分のルーツを巡る旅」…固定されたふるさとを持たない私にとって望郷すべき場所も、そこに置き忘れたものもいろいろな所に散らばっていて、なかなかそれらを確かめに行く時間も手段も確保できなかったのが、様々な偶然が重なって今回それが実現して、そこで得たものは「残るものは、残り続けている。」と言う事実だった。 カタチあるものはいつか変わって行くが、その中でも大切なものが変わっていないことが、私にはとても嬉しかった。 うん、いい旅だった。
◎こうしてこの日は充足感と共に宿に戻り、旧友と焼き肉を囲んでバカ話をして、あとは帰るのみ。 もうあと残されている事は無事に東京まで800km程を走破することだったのだが…そこで壮絶なオチが待っていた。 それは次回。
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