2009/11/09

【Journey】デスドライブ6日目:史上最悪のデスドライブへ…

◎朝6時起床。 流石に疲れが溜まって来ているが、今日はいよいよ東京・茨城に戻る日だ。 ETC割引を最大限に活かすには23:59までに東京インターを通過すれば良いが、さすがにこのトシになって夜通し走るのもイヤなので朝8時出発。 まあ休憩を少々眺めにとっても評定速度100km/hで休憩合計2時間としても18時には到着出来るだろうと踏んで出発。

◎高松道〜淡路道〜山陽道〜中国縦貫までは実に順調な道行。 途中津田の松原SAでうどん食ってうどん買って(お土産)、淡路でトイレ行ってあとはずーっと快調に走っていたら、大山崎で事故ってて名神の吹田合流から渋滞。 とはいえ渋滞規模は然程でも無く30分程で抜けた。 が、そこは名神である。 交通量がそれまでの道とは比べ物にならず、ETC割引につられて高速デビューしたサンデー一番星ドライバー達が跳梁跋扈する空間になっている。 あのテのサンデードライバーの特徴はとにかく「踏む」。 アクセルもブレーキも全力で踏む。 よって、車間調節が全く出来ない。 あの名神の交通量で前車との車間を詰め過ぎて本線状でパニックブレーキを踏む奴が続出。 そんでまた、そういう車って決まってミニバンなんだよね。 特にアルファード・エルグランドが酷い。 あのテの車ってのはアレかね、運転台高いと自分がエラいとでも思っちゃうのかね。もう気分はトラック一番星野郎なんだろうねきっと。

◎実際の所、私をブチ抜いてすぐパニックブレーキを踏んでるアホファードより、のんびり左車線を流す私の方が速いのだ。そして最悪なのがそういう一番星ミニバンに真後ろに付かれた時。 バカみたいに車線を詰めてくるのは、煽っているつもりなのだろうか。 煽るのは勝手だが、追突するのは勘弁な。 そういう車間調整が全く出来ていないから、当然のように上り坂は渋滞寸前の状態になる。 しかしそうなるのは常に右車線で、左車線は一切そういう事が無い。

◎妙に神経をすり減らしながら名神を抜け、東名に入って上郷で飯を食い、由比で美しい富士山を撮り、足柄で大休憩…と思ったら,足柄の交通情報掲示板に「横浜町田先頭・渋滞25km」の文字。 横浜町田と言う事は、ICからの流出車か、大和TN近辺の上り坂で自然渋滞を起こしているかのどちらかだろう。待ってても良いのだが、どうせ解消に2時間はかかるだろう。 どうせ2時間待つのなら、渋滞にハマっていたって同じだな、と言うコトでとりあえず出発。

◎渋滞末尾は丁度御殿場の山を下り切った所。 追突が怖かったが幸いまだ下り坂が続いている段階から渋滞末尾に入った。 そこから大井松田を過ぎて数kmは40km/h程度で動いたので「以外にすんなり抜けるかな?」と思ったら、ハイウェイラジオから不吉な情報が…
「厚木IC近辺で事故発生」
そこから、ビッタリ動かなくなった。 時計を見ると、18:00に入った頃。 ここから笑っちゃう程動かない。 1台分進むのに5分待ち、といった風情でさっぱり動かない。 路肩を見るとハザード出しながら駆け抜けて行くアホが数台。 何やってるんだよ…と思ってたら、さらに一報。
「秦野中井IC近辺で事故発生」
おいい!! なんで渋滞で事故るんだよ。 アレか? 渋滞がヒマでTV見てたら追突したとかそういうオチか?

◎この事故によって余計に動かなくなった。 何せ、大井松田を通過してから1時間経過しても秦野中井に着かないのだ。 車は全く動かない。 時計の針ばかりが進んでいる。 ヒマなのでtwitterをいじりながらじっと待つ…それにしても動かねぇなぁ。
結局秦野中井を通過したのが7:30過ぎ。 大井松田〜秦野中井が1時間半である。 丁度その頃厚木の事故処理が終わった。 おっ? これで流れるか?
…確かに一瞬流れた。 しかしまたすぐ大渋滞。 ハイウェイラジオの渋滞先頭は海老名SAに移っている…って、モトに戻っただけじゃねぇか!!
しかしさっきまでの状況に比べればまだマシで、チビチビと進んで行く。 MT車にはツラい状況…

◎結局、厚木を超えても渋滞は収まらず、厚木の先5km、渋滞突入から2時間半でやっと抜けた。 平均速度は約4km/h。 自転車より遅いじゃねぇかw
最後の渋滞の原因は、海老名へのトイレ行列だった。 実際、海老名どころか港北PAでも入り口が渋滞。 そりゃああれだけ渋滞すれば、トイレに火が付くよなぁ…
結局、混まなきゃ10時間チョイで着く筈の高松〜東京間が13時間半。 都内某所にたどり着いた私はもう披露と眠気でヘロヘロだった。 最後の最後にこんな試練があろうとは…,

◎と言う訳で足掛け6日間、2200kmに及ぶデスドライブが終了。 まあ、良い事も悪い事も(笑)、再会出来たものも失われてしまったものもいろいろあったが、何はともあれ「楽しかった!!」。 正直こういう旅がもう一度出来るかどうか判らないし、もう一度やりたいかどうかも判らない。 ただ私の中で今回の体験が大きな思い出となり、またこれからの活力になった事、それだけははっきりしている。
さて、気長に社会復帰していくかねぇ。

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