2005/10/26

【Diary】8年土産…2年目

◎2年目、年の頭に引越しがあり、M鷹市役所の近所に引っ越した。 相変わらず会社の寮で、賄いつきである点も同じだったが、一応風呂とトイレは独立型となり、飯時以外はプライバシーが確保されるようになった。 この部屋の特色として、防音が異様に良かったこと、天井が異様に高かったこと、そして窓が異様にでかかったことが上げられる。 防音は今まで住んだ部屋の中では最強で、部屋の中で大音量再生をしても全く外に音が漏れない。 天井高の必要以上の高さは部屋の暗さと寒さをもたらし、窓の大きさは夏の暑さをもたらした。 居住環境としては少々過酷な部屋だったが、ツクリが綺麗で過ごし易く、なんだかんだで茨城出張までの5年間をここで過ごすことになった。

◎このころになると経済状態にも少し余裕が出てきた。 連日の残業でそれなりの給料を得られるようになり、かつ支出が前年度と比較してそれほど大きく変動して居なかったのだ。 なんとかかんとか100万円超の資金を作った私は、念願の車購入を決意。 中古のMR2を購入した。 ちなみにこのMR2、乗り出し価格180万で頭金80万、残り100万を3年ローンで返済したのだが、それでも最初にローンの契約を結ぶときは異様に緊張した。 ちょうどこの頃少し会社の業績が悪化気味だったのも、不安要素だったのだ。

◎8を買ったときもそうだったが、この年はMR2は乗り倒した。 買ったばかりのMR2で早速高松まで単独ドライブに出かけたりした。 今から考えれば、運転ブランク1年強、しかも教習所以来のマニュアル車で2ヶ月サンデードライバーをやっただけで長距離単独ドライブに挑んだのだから蛮勇もいいとこである。 まぁ流石に夜中は怖くて100km/h巡航だったが。 今では高速となると夜だろうが昼だろうがお構いなく140km/hぐらいで巡航してしまう自分が居る。 慣れって怖いね。

◎またこのサイトを設置したのもこの年の7月である。 日記自体は2月から書いていたのだが、電話線の設置等に手間取って結局7月の開設となった。 日記と言いつつ毎日更新しないスタイルはもはやこのころからだったようだ。 この頃の通信状態と言えばまだアナログ56kbpsが全盛で、貧乏人の私にISDNの設置工事など行えるわけも無く、テレホーダイの適用時間をじっと待って夜中にネット接続したものである。 常時接続が当たり前の昨今では考えられない状況だが… しかしふと考えると当時大多数のプロバイダが従量制を採用している中、150時間の定量制(テレホーダイのシステムを考えると、事実上無制限定額制に近い)サービスを実施していたAsahi-Net。 結構、先進的なところなのかもしれない。

◎仕事面では、配属直後から続けていたテーマが春先に終了し夏ごろにはマイナー機とはいえ2年目でメイン担当業務を持つことになり随分と張り切ったものだ。 秋口はその業務と平行してもう一つの製品テーマも(サブで)担当する事になり、実質上2機種のかけもち状態で非常に忙しかった。ほとんど新人で要領のかまし方に慣れて居なかった、と言うのがあるが…(要領が悪いのは、今でも同じか) またこの年、それまで開発部門に属していた自分の部署が解体され、品質保証部門に移る事になった。 それ以後私はずーっと品質保証部門で、同じ仕事を続けている。

3年目エピソードに続く…

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