2005/10/25

【Diary】8年土産…1年目

◎まずは上京1年目。 新社会人としての期待を胸に東京での生活が…なんて言えれば聞こえがいいが、実際のところは入社研修の寸前に上京したのでマトモに荷物も開梱できないままいきなり研修に突入し、入社式を経ていきなり工場研修に回された。 工場研修は実際の生産現場での作業者フォロー…だったはずが、私が担当していた現場の正規作業員がいきなり退職してしまい、補充も利かずに私が正規作業員として2ヶ月コキ使われる羽目になってしまった。 いきなりの肉体労働生活。 最初の1ヶ月は休日どこにも出かける元気が無かったのを記憶している。

◎最初に住んだのは横田基地の近所にあった会社の寮。 6帖一間のその部屋はお世辞にも広いとは言えなかったが、上京したての荷物が少ない状況では十分だった。 入寮して最初の二日間だけは畳に布団を敷いて寝たが、3日目からは粗大ゴミで拾ってきたパイプベッドになった。 ちなみにそのパイプベッドは、今でも現役で私の部屋に居たりする。

◎1年目はとにかく金の無さに苦しんだ。 少なくとも最初の半年は全く残業していないので、初任給額面どおりの給料しか貰っていない。 当時の私はとりあえず月に2万は貯金しようと心に決めていて、それに月に一度の帰郷の費用と毎日の電話代(当時は相手がPHSで、電話代が高かった!!)が結構サイフを逼迫させており、特に寮の飯が出ない土日は下手をすると1日1食チョコチップクッキーのみ、なんて日もあり、 それは極端としても1日1食吉野屋、と言うのは日常茶飯事だった。 ちなみに私が初任給で買ったのは自転車(これも未だに乗っている)、初ボーナスで買ったのはCPUアクセラレータ(知る人ぞ知るWinChipの200MHz)だった。 あ、そういや当時はPC98使ってたんだっけ…

◎金の無さ、と言う意味ではこんなエピソードもある。 知人宅で夜中まで飲み、いざ帰ろうと思ったら青梅線に直通する終電が終わっており、武蔵小金井で足止めを食ってしまった。 今なら間違いなくタクシーに乗るだろうが、当時の私に1万円近いタクシー代を払う余裕は無く、かといって夜を明かすには適さない時期(11月だったか…とにかく寒かった)だったため、少し酔っていた私は「歩こう!!」と決意。 土地勘のない三多摩地区を4時間近く酷寒の中徘徊した結果、翌日見事に風邪を引いたのだった。

◎今から考えれば、よくあんな状況で生活できていたものだと感心する。 当然ネット環境も無い(そんな貧乏人にネット環境なんて夢のまた夢で、会社事態もそれほどメール等が浸透して居なかった)ので、休日にやる事と言えば自転車で街を徘徊する(都心に出ると電車代を使うので、自転車でよく立川の街に出かけていた)か、自室でテレビゲームに熱中するか、音楽を作っていたかのどれかである。 しかしそういった生活が、ある意味充足感に満ちていたのは、やはり「新生活」の期待感が自分の中にあったからかもしれない。

2年目エピソードに続く…。

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