2006/07/08

【Diary】帰ってきたぞコンチクショー

◎実際の帰国から2日ほど経ってしまったが、延べ18日間におよぶ中国出張を終えて無事帰宅。

◎香港ツアーから帰ってきて以後、ストレスなのか疲れなのか風邪なのか、ひどく喉が腫れ上がりセキが止まらない状態が(いまだに)続いていた。最初は風邪かな? と思っていたのだが熱も出ないし鼻水もない。
そんな状態で迎えた7/6、起きる時間を1時間間違えたことに気づかずレストランに行って係員に不思議な顔をされたり、迎えの車が来る30分前にチェックアウトをしにいったら中国人の大行列に巻き込まれ30分間を行列だけで食いつぶしたりと言うアクシデントがありつつともかく車に乗り込む。 全部で6人いたので、2台の車に分乗。 私はサンタナの助手席に乗り込んだ。

◎するとこの運転手(30歳ぐらいの男性)が飛ばす飛ばす。 途中、同じ黒のサンタナに抜かれたことに逆上し、上海市に入るまでの1時間の間ずーっとデッドヒートを繰り返してくれる。 とにかくこいつら速度が何km/h出ていようと1台分の隙間があれば割り込むし、ブレーキは寸前に全力で踏むので怖いの何のって。
と、サンタナ同士の競争に気を取られていたのか高速の分流を間違えそうになり、本線上で全力ブレーキ踏んで急停止!! そこから90度回頭して本線を突っ切り分岐に向かう・・・ていうか後続の車がこっちに迫ってくるんですけどぉぉぉぉおお!!
…ふぅ。
こんな感じの運転が2時間半におよび、寿命を2週間分ぐらいすり減らしながら浦東空港に到着。 死ぬかと持った。

◎それにしても浦東、使いにくい空港だ。 あれだけだだっ広いのに出発ロビーとサテライトを結ぶ通路は1本しかなく、パスポート・コントロールの窓口も数が少なく大行列。 手荷物検査の金属探知機は指輪にすら反応してほぼ全員がお立ち台行き。 荷物は当然の権利のようにご開帳。 これが延々続くものだから、制限区域まで行くのに1時間近く時間を要した。
またラウンジの位置が分かりづらく(搭乗前の通路の脇にあり、免税店とはフロアが違う上、階段は各ゲートに通じる階段を利用するため、免税店のエリアにはラウンジが無いように思ってしまう)、ラウンジからボーディングブリッジまでの間にはムービングウォークが無いため延々歩かされる。 まぁそれでも、ラウンジで食ったパンはうまかった。

◎浦東空港から2時間半のフライトを経て成田に降り立ち最初に思ったことが【空港がきれい】
成田の入国を経て建物の外に出て最初に思ったことが【空気がきれいで、湿気も少ない】だった。
日本は湿気の多い国とは言われているが、中国のそれに比べればもうぜんぜん、天国に思えてくるw
外の道路でクラクションを鳴らしまくるバカもいないし、歩行者がいきなり道を渡ることもないし、そもそも無理に割り込んでこないし・・・
家に帰って食した日本米がどうしようもなく旨く感じたのであった。

◎というわけで延べ18日間に及ぶ中国出張。 中国と言う国家、確かに建物や自動車、携帯電話やPCといったミクロな視点では大きな経済成長による先進国化が進んでいるが、人や風土、風習といったマクロな視点から見るとまだまだ後進国と言うか、文明国家からはかけ離れた部分があるのは確かだなぁ、と言うのが正直な感想だ。
貧富の差はさらに拡大していて、たとえばウチの工場で働いている作業者の給料は日本円に換算すると5万円にも満たなかったりする。 これでも労働者階級の給料としては比較的良いほうらしく、実際のところもっと貧乏な人もいっぱいいる。
そうかと思えば、サンタナ以外の車に乗っているのはアッパーミドル以上の中産階級もいれば、年収数千万数億と言う上流階級もたくさん存在しており、日本以上に所得格差がはっきりしている。

◎さらに言うと、蘇州にいる限りはここが共産主義国家であることをほとんど意識することが無い。 労働者階級は普通に企業に勤めて賃金をもらい、その企業も国営でなく私企業だ。 貧富の差が発生したり、競争社会になったりと言う減少は資本主義・民主主義のそれなのだが、蘇州は(そしておそらく上海も)そういった姿が普通に見られる。
もはや共産主義・社会主義といった言葉や姿勢は形骸化しており、これ以上企業進出が進んで経済的に潤ってくると、中国共産党の下にいること自体が無意味になり、やがては独立・・・といった未来像も見えなくも無い。
もちろん、そういった絶対矛盾を抑え込み、民衆を隷属させるための共産党であり、名前だけの共産主義を引いているのだが。

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