2005/12/23

【Research】暴れん坊将軍

◎もう3年以上前の話だが、ふと思った事がある。
「暴れん坊将軍は、一体どれぐらい暴れん坊だったのか」
暴れん坊将軍と言えば将軍様自ら刀を握り、江戸の界隈に蔓延る悪をバッサバッサと薙ぎ倒す、通算放送回数831回に及ぶ時代劇の代表作である。(ちなみに同一俳優による連続放映回数としては銭形平次の888回に次ぐ記録らしい)
さすがにそれだけ放映回数を重ねていると、大立ち回りで打ち倒した侍の人数も相当なはずだ。 果たしてどれほどの人数の侍が打ち倒され、それにより江戸の街の治安はどのようになっていたのか? を検証して見る事にした。

◎暴れん坊将軍のパターンと言えば、上様に罪状を暴露された悪人が「出あえ出あえぇ!!」などと叫んで侍たちが上様を取り囲み、そこから殺陣シーンに入る。 この殺陣シーンだが、Wikipediaによると1放送平均35人、意外と多い。 単純にこれに放送回数を掛けると、831×35=29085人に及ぶ。 この人数だが、東京都23区中もっとも人口の多い世田谷区と比較しても、810979/29085≒28。 28人に一人は上様の被害を受けた計算になってしまう。 はっきりいって、異常な数値だ。

◎次に死者数を考えてみよう。
上様は最後に悪人の黒幕を「成敗!!」といって手下が(時には自ら)斬りおとす。 これを平均2名と見積もると、2×831=1662人。
さらに上様は峰打ちで侍を打ち倒すが、見ると侍の一部は頭から血を流して倒れている。 鉄の棒で殴打されれば最悪、致死に至るだろう。 致死率のデータが無いので大雑把に1/3と見積もると、((35-2)/3)×831=9141人。 合計すると、10803人。 なんと、阪神大震災の死者数6402人を軽く上回る人数である。 世田谷区で換算すると、75人に一人は上様に撲殺されていることになる。

◎しかしこれはあくまで全体の統計数値なので、上様の暴れっぷりを照明するにはもう少し細かなデータが必要になる。
この記述によると江戸の武家総数は約60万人,町人が65万人,全人口の半分は侍だったと言う計算だが,問題はこの数は1837年近辺の総人口数であるという事.吉宗の将軍在籍期間は1716年~1745年.32歳で将軍になっている. この在籍期間中に上様は大暴れしていたのですが,この間の江戸の人口は…正確な資料が無く,元禄年間で85万人,18世紀初冬に100万人を超えたと言うことなので,約90万~95万人と仮定する。 侍と町人の比率が同じなら,侍の総数は45万人. ここから考えると被暴行侍数は全体の15%に及んでしまう。

◎しかもこれは「江戸中の侍の数値」だ。 上様といえど極秘に活動している以上江戸の町中で籠や馬は目立ち過ぎるので基本的に徒歩であり、その行動範囲は限られてしまう。むしろその行動範囲内の侍の人数で考えるともっと恐ろしいデータになるのではないか。
ネットで調べたところ「め組」は現在の港区芝大門あたりにあったとのコトなので,そこから半径1.5km程度の園内…それが上様の行動範囲であり,上様による侍暴行事件もこのあたりで多発したと言うことになる.因みに現在の芝大門交差点から1.5kmの範囲と言うと,だいたいこのあたりの範囲が該当する様で、なるほどここなら江戸城から徒歩で通うことも可能だ。

◎で、江戸時代の人口のピーク時,町人街の人口密度は四万人/キロ平米.武家屋敷街の人口密度を算出するために侍と町人の人数は同じとして面積比(64:20)で人口密度を換算すると12500人/キロ平米.当時の芝大門近辺の人口密度がわからないので,間を取って20000人/キロ平米として計算すると…上様の行動範囲(芝大門から半径1.5km)の人口は141372人、うち侍は70686人となり,半径1.5kmの範囲内の侍の実に41%が暴行に遭っている。 しかもそのうち死者が1万人以上。
芝大門近辺の治安は壊滅的に悪かったとしか言い様が無い。 いくら勧善懲悪といえど、ちょっと暴れすぎではないだろうか。 上様。 一歩間違えればご乱心である。 だいたいここまで局地的に侍が暴行される事件が続発して、「お忍び」の体制を保つことは出来たとは思えないのだが…

◎という事で上様の暴れっぷりは後理解いただけたかと思うが、この上様の大暴れによる治安への影響その他への考察があったりするので、それはまた次回。

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