【Diary】ここ最近の新聞を読んでいて・・・
◎写真と本文は全く関係が無い。 昨日でかけた帰りに撮影したものだ。
◎山形で鉄道事故が発生した。 突風による転覆脱線が原因と目されているが、その「原因」を前提とした「事故を防ぐことは出来なかったのか」「JRの安全管理体制には問題が無かったのか」と言うお決まりの報道が目立つ。
被害者の方々の心境を思うとはなはだ不謹慎には思うが、人災であればともかくこのような天災において、結果論をただ反復しただけの「原因究明→責任元の追求」と言うこのパターン報道はいい加減辟易としてくる。
◎今、犯罪被害者を実名報道するかどうかでメディア側と行政側でずいぶんとモメているが、今朝の新聞社説を読んで非常に腹立たしい思いがした。
曰く実名匿名の判断を警察に委ねるのは警察側の恣意的運用が心配であり、警察側が実名報道を下としてもマスコミ側が配慮して匿名報道することもあるのだから、原則実名報道しろ、ということである。
「事件時の行きすぎた取材、興味本位の報道などメディアにも改めるべき点は多い」としながらも「とはいえあえて警察に掌握させる必要があるのだろうか」とは良く言えたモノで、その粋すぎ取材・興味本位報道に対して、メディア・リテラシーが、「少なくともメディアが権力側に要求する」透明性のある方法で施行され、実益を上げた例があるだろうか。 私は知らない。
◎そもそも「メディアは事件や事故をありのままに伝え、問題提議する事を使命としている」と言うもの事態が非常に疑問だ。 では(どことはあえて書かないが)在日韓国人犯罪を「通名の」日本人名で報道したり、何かしら大事件が起こると半ば世論操作的に「被害者の近況」などをまくし立てて書いたり、予測不可能・対策不可能な天災までも予見不足として一定の組織を叩いたり…と、「ありのままに伝える」こともままならず、ましてその「問題定義」の手法にも疑問がある。
どこの新聞も書かないが、確かにある世論の一つとして、姉歯偽装事件での最大の被害者は、このまま行けば無実無縁の日本国民になってしまうのだ。
◎姉歯事件で偽装が発覚したマンションの住民に対する損失補填を税金で行おうとする動きがある。 つまりは、国民総助け合いをしましょう、と言うことだが、果たして阪神大震災、新潟大地震等の天災の被災者がそのような援助を受けただろうか?
地震でマンションが倒壊したから、倒壊した分のマンション建築費用を税金で賄いました、なんて話は聴かない。
もしこれで本当に補填されたら、「人災は補填しますが天災は知りませんよ」と言うことか。
なぜ新聞はこれを記事にしないのか。 メディアの使命が「ありのままに伝え、問題提議をする」ことが前提なら、この論点が論じられて然るべきではないのか、と思う。 ネットコミュニティの中の意見とはいえ、それも立派な「世論」の一つなのだ。
◎結局、メディア自身が自分にとって都合の良い意見、イデオロギーに合致する意見のみを記事に書きたてているに過ぎない。
最初の話に戻せば、自分たちのイデオロギーが、「大衆の関心の寄せる下世話情報を配信する」もの(週刊誌はとくに多いね)であれば残酷な事件ほど実名報道して、被害者やその周辺を追い掛け回すだろう。 何せ被害者の心情に配慮するよりも、その周りの下世話情報を集めれば集めるほど、自分たちの存在意義を達成できるのだから。
メディアは、そんな自分たちが持っている病巣を、目に見える形で切り落とすことが出来るのか?
私は無理だと思う。
2 件のコメント:
何気に初コメント。
いわゆるメディア・スクラムってやつですかね。
マスコミ側の連中は「メディアは国家権力の暴走を防ぐための監視者だ!」とかのたまっているようですが、
それではメディアの暴走を監視する者は誰か?という疑問に対する回答は未だに黙殺されている現状…。
ネット上の声も、相手に都合の悪い情報は「便所の落書き」と揶揄され、完全な市民権は得られていませんし。
話は飛びますが、たとえば最近「罪のない子供がロリコン・オタクや凶悪犯に殺されまくっている!」
「若者の凶悪犯罪が昔に比べて増えている!日本の治安は最悪だ」…といった世の中の雰囲気が出来上がってきていますが、
あれって完全に何者か(マスコミ側?権力者側?)が無知な国民をミスリードしようとしている気がしてならない。
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/2005-12.html#20051211
実際最も多く子供を殺しているのは、凶悪犯罪者ではなく母親、という笑えない逸話もあります。ソース無いですが。
三菱車炎上問題発生→三菱車だけが燃えると刷り込まれるような連日の過熱報道(実は他社車種でも昔から珍しくない事故)…の図式が思い出されます。
こういう問題が浮上するときに限って「だから漫画やゲームは有害だから規制だ!」なんて阿呆な流れになったりするのもなんだかなぁ。
そういや更に飛躍しますが、「自殺者最多の小泉政権」なんて話(主に赤い方向より飛来)を最近よく耳にするけど、
実は小泉云々とは無関係で、実際死んでんのは団塊の世代ばっかという噂もあり。
言い過ぎかもしれんが、なんかヒトとして欠陥でもある世代なんかね。
なんか取り留めのない長文になりましたスマソ。
とにかく物事の一方だけを見て「こっちが正しい!」なんて決め付けても騙されるばっかなので、
二面性と表裏をしっかりと見て生きて行こうかななんて最近思うのです。
何かしらの事件・事故が発生すると、必ずその原因につながる事象をとらえてそれをただ反転すれば事件・事故が抑止される、と言う考え方-
例:子供殺しの犯人はロリコンオタクだからロリ規制、オタク叩き
予測不能突風で事故発生、予測できるシステムに汁!! 風速計もっと増やせ!!
-は、もっとも安直かつ間違った問題解決のプロセスだと私は思っています。
しかし、それが万人にとってもっとも理解しやすい理論であると同時に、その程度の理論しか理解出来ない人たちがマスコミの収入源になっているのも事実。
本当に愚かなのはマスコミではなく我々自身なのかも…
>団塊の世代の自殺
競争心が激しい世代と言われますが、その競争の本質は「行動による成果」の競争ではなく、「そこに居られるか、居られないか」と言う生存競争だったのではないでしょうか。
そして今、日本が年功社会から成果社会に変わっていく中で、「そこに居る」だけでは存在理由を認められない社会に絶望しての所業だと思うし、それこそ生存競争から成果競争に社会のシステムが変化していく中で当然起こりえる自然淘汰現象なのかもしれません。
まぁ団塊世代に限りませんが。
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