2006/05/18

【Diary】The Matrix Revolutions

◎こないだ借りてきたDVDの2枚目がこれ。 映画公開時に見ることができず、ズルズル引き伸ばしてる間にえらい時間が経ってしまった…

◎前作マトリックスリローデッドが世界観の説明に終始していたのに対し、レボリューションズは純粋に人類とコンピュータの戦争を描いている。 また現実世界の描写に大半の時間を費やしたことで、ネオやトリニティ、モーフィアスらが「人間」であることを強く描き出している。 ミフネ大佐(だったかな)の最期のシーンなども、彼らが人間であり、現実の中で力強く生きようとしていることを強烈に描写していた。

◎さて、「人間とコンピュータの戦争」という背景からスタートしたマトリックスシリーズだが、結果的には人間にもコンピュータにも脅威となった存在を排除することで相互に共存するという結末となった。
しかし考えてみるとその脅威…スミスは本来プログラムでありマトリックスの中でしかその存在を保てない(現実世界にハッキングしてくるが、それは同時に時間という消滅可能性を抱えることと同じである)にもかかわらず、プログラムであるスミスには「不確定要素」が無く、「人類への敵対」という単一目的からの揺らぎがなかったため、目的の達成の為の手段を選ばない結果マトリックスの暴走を招くという矛盾を抱えている。

◎ネオに関しても同様の部分があり、前作「マトリックス・リローデッド」で述べられているように、人類が持つ不確定要素が生むアノマリーと、その暴走によるマトリックス(あるいは人類を支配するコンピュータ全体)の崩壊を防ぐためにマトリックスの再構築とザイオンの破壊・再構成という一連の「世界の安定」を、ネオ自身の人間としての不確定要素により放棄し、現実世界の危機(あるいは、人類によるマトリックスへの攻撃というマトリックスの危機)を招いている。
スミスは不確定要素が無いが故、ネオは不確定要素があるが故に、ともに仮想現実、現実ともに危機を招いているのだ。
そういう点で彼らは「対極の同一」という表裏一体の存在であった。

◎われわれが住む現実の世界(マトリックスという概念が本当に存在しなければ、の話だが)は、不確定要素に満ち溢れ、常にエントロピーの増大(→破滅可能性の増大)を引き起こしている。 しかしマトリックスが作り上げた、あるいはコンピュータという不確定要素の排除された世界においてもまた、エントロピーは増大し続けている。
完璧なシステムは、どこにも存在しないんだということを、少し考えさせられた。

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