2009/09/23

【Column】大人になろう その1

◎この5連休中、2度ほど電車で東京方面に出かけたのだが、まあ酷いものをたくさん見た。 ボロボロこぼしながらおにぎりを食う若者、化粧をするねーちゃん、靴のまま椅子に上がるガキとそれを叱らない親、老人尻目にシルバーシートを占領する家族連れ、子供のいないベビーカーで通路を塞ぐ母親、膝を横に足組みしてゲームに熱中する青年、ドア際にうんこ座りするねぇちゃん…なんだこれは。 馬鹿の見本市か?

◎特に酷かったのが京浜東北線で見た家族連れ。 ほぼ満員の電車にベビーカーのまま乗り込み、子供一人は靴のまま椅子に上がり、もう一人はなんと乳飲み子で哺乳瓶を銜えたまま。 母親の格好は実情はともかくセンスが完全にしまむらファッションで、化粧は目の廻りが昆布のように真っ黒。ついでに父親のサングラスはつり上がっている。 そしてそれが有楽町で降りて行ったのだから驚きだ。
そういう場所じゃないだろう、そこは。
こういう連中に私の税金から「子供手当」なるものが支払われると思うと本当に腹立たしく思えてくる。

◎そしてこういうことを言うと必ず「家族のふれあいが…」だの「母親の苦労が…」だのといった言い訳が聞こえてくる。 しかしそれは「私はやる事をやったんだからその分の自由を寄越せ」という権利の主張でしかなく、結局は個人の利益でしかない。
社会において最も必要な事は公共の全体最適であり、「慎み」はそのためにあるのではないのか。 男も女も独身も家族連れも関係なく、「オトナ」であればまず尊重すべきは「公」であり、自分や配偶者や家族といった「私」は二の次の筈だ。

◎誰がどこで何をしようと勝手だろう、と言われそうだが、「公共の場に出る以上、そこにその格好と立ち振る舞いで存在するだけで迷惑」と言う状況が有り得る事…裏返せば「公共においては慎みが必要」と言う考え方はどこに行ってしまったのだろう?
自分が30歳を回って、それ相応に「大人」としての自覚も世間の評価も受ける様になるとことさらそういう事が目についてくる。

◎もともと私は昔から「早く大人になりたかった」。 もっと言えば「早く老けたかった」。 なにせ今だに見た目的にも社会的にも実年齢-5以上は若く見られてしまうタチだし、そもそも次男坊な上に親族・親の知人の中で最も遅くに生まれた為、ずーっと年上の人に囲まれて過ごしてきて、様々な「大人」に触れて「ああ、早く自分もこういう大人になりたい」と憧れ続けていたのだ。 それが自分が大人になると、かつて憧れたオトナってのはこんな程度だったのかと、多々落胆する日々である。

◎そしてこの話,まだ続きがあるのだが…それは次回。

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