2009/09/24

【Column】大人になろう その2

昨日の続きである。
電車で出かけて不快なモノを見続けるのもイヤなので今度は車で出かけてみたが、出かけた先が悪かった。
開店したばかりのショッピングモールだったのが悪かった。 店舗のえらい手前から大渋滞。 駐車場はどこも満車で,「臨時駐車場こちら」の看板を目当てに走ったら、駐車場など陰も形も無いまま同じ所をぐるぐる回らされた。 結局嫌気が差して帰ったのだが、そこで見かけたアルファード・エルグランドの多い事多い事。

◎どうも私にはあの車を選ぶ理由が判らない。 そしてそれ以上にこの2車種が「エコカー減税対象」なのが理解出来ない。 どこがエコカーなのかと。 調べてみたところ私のRX-8のカタログ燃費(9.4km/liter)と比較すると、アルファードの3リッターモデルでトントン、エルグランドに至っては下回っている。
これでエコカー減税対象,「人が乗れて荷物が積めて、カゾクがウレシイクルマ」なのだ。
7人乗りつったって4人以上乗っているのを殆ど見た事がない。 平均すると3人もないだろうに…

◎そしてまたその「カゾクがウレシイ車」の運転が酷い。 所謂盆暮れ(ボンクラ)ドライバーの集まりなのか、この連休だけでも渋滞状態での追突事故を2度程目撃した(おそらく、原因はナビ画面のテレビやDVDの注視だろう)し、交差点では青信号になったとたんに対向から右折で切り込んでくるアホファード、合流地点で我先に鼻を突っ込むオデッセイ、先が渋滞した交差点で停止線で止まっているとクラクションを鳴らすステップワゴン、混雑した左折車線を右側からショートカットして交差点寸前で割り込みを試みるボクシー…もう、枚挙に暇が無い。

◎んでまたそういった車は高速では飛ばす飛ばす。 私も精々高速は飛ばすほう(高速道路を低速で走る趣味は無いっ!!)だが、かなり車間は開けるし所謂「縫って」まで飛ばさず、無茶な減速や挙動もしない。 今まで私の車に乗った人で「私の運転が怖い」と言った人は皆無だし、「車が苦手」な人を酔わせた事も無い。「適切なスピードレンジで快適に走る」のが私のモットーである。
しかしそういった「カゾクのクルマ」がそういう走り方をしているのは滅多に見ない。 「高速1000円」が施行されてからというもの、盆暮れ(盆暗)ドライバーであふれかえった高速道路はまさに無法地帯。 バカみたいに飛ばして車間を詰め、後続車など気にせずフルブレーキング。 もともと動力性能の高くない車でレーンチェンジやブレーキングを繰り返すもんだから、いつ横転するか、いつスピンアウトするかと見ているこっちが怖い位。 そのくせ根性は無いのでスピードが続かない。 先程ブチ抜かれたミニヴァンに追い付いてしまう事等日常茶飯事だ。

◎ふと思うのだが「カゾク」が乗っているのなら,その「カゾク」はそんな運転をするオトーさんオカーさんを「大人」としてどう見ているのだろう。 あるいはオトーさんオカーさんは同乗者の「命」を預かっているという自覚があるのだろうか。
またこういったドライバーが減るどころか増える一方なのも、「人のふり見てわが振り直せ」ではないが、ああいうのを見て「あ、ああいう事やって良いんだ」と思うのだろうか。 あるいは「バカだなぁ」と言いながら同じかそれ以下のコトをやるのか…
ただ単に、「何が自分勝手なのか」が判っていないだけなのか。

◎交通社会、というのはまさに「個」と「公」の象徴みたいなもんである。 車の中に居る限りその空間はどこまでも「個」だが、そこから生み出される思考やそこから導き出される動作は、まぎれもなく周囲との強調…「公」を求められる。 一人の無茶が廻りの危険を呼び、一人の無配慮が渋滞や事故を生む。 速過ぎてはいけないし、遅過ぎても廻りの迷惑。自己主張が過ぎて周囲に危険をまき散らす事もあるし、配慮という名のエゴイズムが周囲の流れを停滞させる。交通社会に求められるのは、どこまでも「公」の精神の筈である。

◎以下明日。…で以下余談。
それにしてもああいうミニバン,みんな「カゾクのため」とかいって買うが、精々4人、平均二人程度の乗車率なら、ヴィッツでもデミオでも買えば良いじゃないか、と会社で提言してみた所「そんな車は安っぽくて嫌」と言われた。 なんだ、家族がどうとか言っても結局テメェの見栄か。
見栄で車に乗るなら私みたいに後ろ指を指されながらRX-8に乗ったり、「単なる趣味で」ランクル60だのマスタングだのアウディ100だのを乗り潰したウチの両親みたいに、徹底的に道楽をすれば良いのだ。
あのテの下品あるいはヤンキー臭のする車を「見栄」で買うセンスの時点で多寡が知れていると思ってしまうのは私だけだろうか。

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