2009/09/28

【Column】大人になろう その3

◎「以下明日」なんていって放ったらかしていたコラムの続き…

◎いきなり余談から入るが今朝事故りかけた。 上り坂頂点というブラインド位置で対面車線を走る車(つまりこちらから見るとこちらの車線を走ってきていて正面衝突コース)がいたのだ。 急制動して事なきを得たが、後続車がいたらこちらが追突される所だ。 どうやらその車、自分から見て右側の会社に入る為に対向車線走行をしていたようなのだが、対向車線に入ればどうなるかなんて、小学生でも判る話だ。慎みとか公私とかいう以前の問題で常識も知性も無さ過ぎる。 海原雄山ではないが「馬鹿に免許を与えるな」の典型であろう。

◎さて。
上の例にしてもそうだし5連休で散々目にした「馬鹿の見本市」にしてもそうなのだが、結局私が何に憤ったかと言えば、「大人は社会の規範たれ」という根本的な試走がなってない輩が多すぎる事だ。
社会には明文化されたルールはない。 逆に、ルールは時分で決めて自分で守り、それがコミュニティの中で洗練されて行く事で「社会的なマナー・ルール」と言うものが出来上がる。 そしてそんなオトナの姿を見て、次の世代が育っていくものであろう。

◎次の世代を担う「子供」や「若者」達は、常に「今の世の中」や「世のオトナ」を見て、それを規範(時として反面教師)として成長していき、人格や行動原理、センスを培って行くものである。
さて、私が見てきた馬鹿の見本市を見た「次の世代」は、それらを見て何を思い、どういう結論を出し、どんなセンスを身につけるだろうか。

◎前にも書いたが私はもともと早く大人になりたかったし早く老けたかった。 そして今はそれの裏返しで「あのころ憧れた、あのころ「ああなりたい」と思った大人の姿に、自分を少しでも近づけよう」と思う様になっている。 「オフタイム用のいい加減な服」を持たないのも、車通勤+工場勤務でもビジネススタイルで会社に行くのも、部屋に余計なものを置かずシンプルライフを志しているのも、今の境遇になって炊事洗濯掃除どれ一つとして手抜きせずこなしているのも、全てはその思いからだ。

◎目標や目的のない人生はつまらないだろうし、他人にも次の世代にも、何も伝わらない。 常に自分が「オトナ」であり続ける為には、常に自分を律すること、常に自分を洗練させるべく、常に緊張に身を置かなければならない。
そんな生活疲れるだろう、という言い訳は、「その言い訳が人間を退化させる」と言うのが私の反論だ。 言い訳をして進化を富めれば、人間の価値はそこで止まる。 人間は常に進化と研鑽、挑戦をあきらめてはいけないのだ。

◎時分が30を回って「自分が上を見ていることよりも、自分が見上げられることのほうが多い」側に回った以上、常にこのことを肝に銘じて生きようと思う。 そして所謂「馬鹿」への監視を止める事もないだろう。 自分がそちらに堕ちない為に。

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