【Diary】靖国神社・遊就館
◎靖国神社、および遊就館に足を運んだ。 今まで何かの機会に行きたいな、とは思っていたがその「何かの機会」がなかなか訪れず、今まで足を運ぶことが出来なかった。 しかし行ってみたい場所ではあった。
まぁ、ここ最近の靖国騒ぎを聞くにつれ、自分の足で出向き、自分の肌で感じる必要性を感じていたのも事実ではある。
◎初めて立った靖国の境内は、荘厳そのものといった面持ちであった。
本殿の前に立ち、二拝二拍手一拝にて、この神社に祭られる英霊たちに祈りを捧げる。
私が祈りを捧げたのは、戦争に対してではなく、また戦争犯罪者(あるいは戦争責任者)でもなく、また特定の誰かでもない。
自分たちの国、自分たちが信じるものの為に戦い、この靖国に戻ることを願って散っていった戦没者たちである。
◎兵隊さん、と言うのはある意味非常に哀れな存在だと思う。軍隊と言う組織の中で、個々人の思想の如何に関わらず、国家の方針として戦い、死んでいく。 そこには個々人の個性や区別は無く、ヒューマニズムすらも存在しない。 戦争の結果が良かれ悪かれ、その後の国家は平たく彼らの屍を礎とし、後世に残るのは、「どこでどういう戦闘があり、何人死んだ」 と言う統計的記録だけだ。靖国神社は、そういう風にして本来残されることの無い戦没者たちの記録や記憶を、神道という「日本における価値観と文化のあり方からくる方法論」において、後世に伝えていっている。
言い換えれば単なる「記録碑」でしかなく、たとえばひめゆりの塔とか、大規模事故の現場に建立される鎮魂碑とか、そういうののと何ら変わるところは無い。ましてそこに戦争を美化しようとか、軍国主義を崇拝しようとか、そういう意図は全く感じ取ることは、少なくとも私には出来なかった。
◎さて、そんな靖国神社だが、まぁそれでも参拝する意思が無いのならば、本殿を参らなければいい話だ。 しかし、本殿をスルーしてでも脚を運ぶべき場所、それが遊就館だ。
ここは、靖国神社が祀る幕末維新期からの戦没者に関連する資料が展示された、言わば軍事博物館だ。
殊に日清戦争から日露戦争、太平洋戦争に関連した日本軍の資料は、膨大な数が展示されている。また、靖国神社に祀られる戦没者のうち、氏名と写真が判明しているものについて、それらを1枚1枚展示し、本来統計でしか残ることの無い「戦没者」一人一人の記録を展示・公開し、後世に残している。
◎遊就館の基本スタンス、はやはり戦没者を祀るという靖国神社の性格上、日露戦争における戦勝記録が詳細に記録・展示されていたり、太平洋戦争における展示のストーリーが「日本の生存権確保、自衛自存の為の戦争」であったり(まぁこれはある観点では間違いではないだろう. もちろんこれが絶対的真実ではないが)と、ある種の思想的バイアスがかかっている点は否めない。しかし膨大に収められた資料類は、そういった「展示の方法によるストーリー」を吹き飛ばしてしまうほどの衝撃と説得力を持っている。◎たとえば特攻兵器。 遊就館には人間魚雷「回天」、人間誘導型巡航ミサイル「桜花」、竹槍式人間機雷「伏龍」の銅像、などが展示されている。これらを見て思うこと… 普通に考えれば、たとえば回天は当たる訳が無いし、桜花は発射前に撃墜されてしまうだろうし、伏龍に至っては運用方法そのものが怪しすぎる。 合理的に考えれば、兵器として使い物になるわけが無い。いや、それ以前に、「生き残る」と言う戦闘行為の大前提を放棄すると言うこと自体が、尋常な思考回路なら発想し得ない。(だからこそ、アメリカ軍は特攻を行う日本軍の思想を理解することが出来なかった。 ごく当然のことだろう)
しかし、それらの「尋常な思考回路」を停止させてしまう「異常な状態」、生き延びることを放棄してでも敵を攻撃するという思考を優先させなければならない「異常な状態」、それが戦争というものであり、展示された特攻兵器たちは、百の言葉や千の議論を通り越して、「戦争の正体」をわれわれに見せ付けてくれる。
◎展示物たちが我々に教えてくれること、それはそういう「異常な状態」になってはいけないと言う事、それはつまり、(事情や理由はどうあれ)自らが戦争を起こすと言うことが愚かであると言うことだ。
ひとたび戦争状態になれば、特攻兵器のような悲惨かつ破綻したモノを持ち出してでも、戦闘をしなければならない。それをよしとする、それを賛美するものが、一体どこにいるというのだろう?また、これらの展示物が、そういったメッセージを持たずに、賛美や崇拝の対象であると、どうやったら受け取れるだろう?
遊就館に展示を見て、締め付けられるような胸の痛みやこみ上げてくる思い、それは間違いなく、「戦争をしてはいけない」と言う、確固たる自分の意思の表れである。
◎帰途に着いた我々を迎えたのは、生い茂る木々と木漏れ日、そして鳴り響くセミの声、曇天だが高い空だった。戦争で散っていった人たちは、きっと、この空を夢に願い、その生涯を閉じていったのだろう。そして彼らの屍と魂を礎に今を生きる私たちは、もう今後、この地を、空を夢見て散っていく人たちが表れることの無いよう、二度と戦争を起こさないことを誓い、そして戦争を起こさないために何をするべきかという現実的な解を模索していかなければならないだろう。
いくつの言葉を並べるよりも、どれだけの議論を重ねるよりも、まずこの地を踏み、見て、感じること。 それが、まずスタートラインである。
2 件のコメント:
レポ乙っつーか、まさか靖国行ってるとは思わんかった( ゚д゚)
全て禿同なエントリですな。
靖国ネタはネットでもいい加減食傷気味ですがwそれぞれの個人の戦争観がどうであれ、先祖の生きた過去を今の人間がどうこうできるわけないんだから、
ただ淡々と現実のみを受け入れればいいのにねぇ。
なんで61年前の自分らの先祖に怒りとか感じられる連中が戦後生まれの人間に居るのか、俺には理解不能ですわ。
善悪を考えるのすらむなしく、とにかくああいう時代だったんだなあと、切なく思うくらいが現代日本人の程よく前向き後ろ向きな価値観らしくっていいなと思うのです。
日本は言論の自由が認められた国ですから、戦争に対してどのような価値観を持ち、どのような行動を起こそうがそれは自由だと思うのです。
ただそれを自分の内面にとどめず、何らかの行動(たとえばこういう誰も読まないBlogに書くにしてもそう)を起こすのであればその根拠については説明責任が生じてくる。
その説明が曖昧だったり、筋が通ってなかったり、あるいは単なる感情論に筋を通そうとして意見が破綻してたり、と言うのを見ると
「ええ~?」と思うわけです。
(別に感情論やコモンセンスを根拠にするのがいかんとは思いませんが。)
更に言えば、そういった信条や価値観に基づかず、ただ人気取りのコマとしかこの問題を扱っていない勢力が要ることが最大の問題ですね。
たとえばどっかの政治政党の代表は
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20060819k0000m010054000c.html
と仰っていますが、昭和61年の参議院議会で…
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1050/10404021050005c.html
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信念に基づく行動を起こしていないのは、どっちですかね。
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