2005/11/03

【Diary】8年土産…5年目

◎さて5年目。 この年は「別離」を経験した。 気がつけば4年程は何かしらの繋がりを持っていたのだが、1年前ぐらいから疎遠になり、結果として別離となる。 今自分が壮年になった訳ではないが、なんぼ言っても成人したての若さ故か、「気持ちで何とかなる」と信じていたモノの結果、を直視し、それ以前と以後でずいぶんと自分自身の考え方が変わっている。 比較的理想論者なのは今も昔も変わらないが、日記のテイストにも現れているように、比較的「今」を直視するようになったと思う。

◎ほぼ平行して、5年目にして初めて「完全新規プロジェクト」を主担当することになり、今まで経験した事のなかった重圧と戦う日々が始まった。 言ってしまえばその職場の一つの「到達点」に達し、誰かを頼ったりアテにしたり、ではなく、最後は自分で全てを処理すべき立場で仕事をする事になった。

◎しかしその仕事環境は決して恵まれているとは言えなかった。 チーム内で僕は最年少かつ最低職能でチームリーダーとして動かざるを得ず、パートナー達は年齢と職能は高いが業務経験が殆どゼロ。 人員不足で雇った派遣社員も全く経験がなく、かつ入れ替わりが激しく教育手間が削減できない。 にもかかわらず管理側は、「業務の効率化」と言う名目の業務削減にしか興味がなく、体制増強を訴えても帰ってくる言葉は人格否定でしかなかった。

◎極端なエピソードを紹介しよう。 この業務に携わっている間に、実父が倒れて入院する事になったのだが、自分自身で身動きが取れない状態の為私が介抱に向かおうとした際に、職場から浴びせられた言葉は 「業務に穴を空けるな」と言う一言であった。 結果的には少数派の良識人により私の仕事はフォローされ、私は休暇を取って介抱に向かったわけだが、そのときの言葉を撤回された記憶はない。(受け入れるつもりもない)

◎このような職場状況となると、尚更「先」を見る事よりも「今」を直視するようになった。 兎に角その時その時の案件を処理していかなければ、追い詰められた職場の中で自分の存在意義を保てなかったのだ。 このときの経験が、「昔」と「今」の自分を隔てる、大きな転換点になっている。

◎さて、別離があれば出会いもある。 と言うよりも、殆ど気を取り直すヒマもなく新しい交際がスタートする。 それは今につながるものだった。 新しい「繋がり」を示すために買った指輪は、今でも僕の右薬指で鈍く輝いている。 …他にもいろいろあるのだが、実は、この年の10月頃から、翌年の5月ぐらいまでの記憶が殆ど無い。 プライベートでの出来事はある程度記憶しているが、特に仕事の事や生活の事は本当に記憶がないのだ。 詳しくは翌年のネタで書くが、ある意味「当時を思い出したくない」と言う自己防衛機能なのかもしれない。 などといいつつ、頭をひねって、6年目に続く…

0 件のコメント: