2005/11/09

【Diary】8年土産…6年目

◎6年目なのだが、昨日の日記にも書いたように5月頃までの記憶がほとんど無い。 とりあえず覚えているのは4月頃を目処に担当業務が変わってそれまでの製品とは全く毛色の違う製品を担当するようになったこと、前の担当製品の負荷が高すぎて精神不調をきたして病院通いした事、人事上の職能と実際にやっている仕事の格差が大きすぎたので意図的に業務レベルを落とされたこと、である。

◎病院通いはモロに精神科である。 正確にいうなれば前年の暮れごろから病院に通いだし、最初は沈静系の薬を貰っていたのだが春先から症状がひどくなって来たので意を決して主治医に話をしたところ「適応障害と軽度の鬱ですね」と診断されて抗鬱剤を貰う。 普段薬を飲む習慣の無い私はあまりに劇的に効果が出て、数週間もするとどこに出しても恥ずかしく無い立派なアッパー兄ちゃんになった。

◎毎日早起きして家事全般をそつなくこなし、会社が終われば速攻で帰宅してプラモデルの製作にいそしむ。(結構作ったなぁ… この年。) 薬をやめてからは自堕落な生活に戻りましたが、「家事全般をそつなくこなす」と言う習慣だけは今でも残り、最近の趣味は皿洗いだったりする。

◎そしてこの年の夏、東京を離れ茨城県に引っ越し。 夏の時点では「一時出張」だったが、年末には「転勤」の扱いになった。 最初の出張で訪れた部屋は独身寮で6帖一間DKのアパートで、部屋の外に柵が無いと言うステキな立地条件。 朝起きて雨戸を明けると路駐の車とオハヨウゴザイマースなんて状況で、とてもではないが雨戸は開けられない。(体調不良で会社を休んで、午後布団にこもってゲームをしてたら窓から同僚が乱入!! なんてなこともあったっけ…) 毎週週末は三鷹に帰り、日曜日の夜に寮に戻ってくる二重生活をほぼ半年続けた。

◎そして12月、本核的に住居が茨城県に移る。 「本格的に車が無いと生活出来無い土地」 かつ、「料理も含めて全ての家事を自分でやらないと成り立たない生活環境」での生活が初めてで、結局そのリズムを掴むまでに年を越して3ヶ月程度を要した。今となってはエクスプレスが開通したり、生活に便利な土地に引っ越したりして比較的快適な生活をしているとはいえ、薬を断って精神的にまだ不安定な状況での慣れない生活は相当に苦痛だった。 結構相方や周囲の人たちには不愉快な思いをさせてしまったかもしれない。

◎結局今までの8年間の中でもっとも劇的に環境変化が起こったのがこの年である。 職場環境、住環境、人間関係、さまざまなものがガラっと変わり、その変化についていくのが精一杯で、正直なところ自分自身のことを考える余裕が無い+薬でその能力すら奪われた状態で、とにかく時間と状況に流された1年であったといえる。
◎などと言いつつ、7年目に続く…

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