2006/10/18

【Diary】絶望の中で死を選んだ中学生

◎連日マスコミを賑わす福岡いじめ報道。
個々のニュースを追っているとキリが無いのでまとめページを参照していただくと良いが、私も連日激しい憤りを感じている。 もっと先にBlogにあげようかとも思ったが、何を書き出すか整理がつかなかった次第。

◎結局この子は自分の境遇を誰にも理解されること無く、叫びのような遺書のみ残して死んでいった。 学校生活において最も信頼されるべき「教師」に裏切られた彼の絶望はいかばかりであったか。
教師は言う。「一生かけて償います」
しかしその舌の根も乾かぬうちに「体調不良」で姿を消し、挙句の果てには入院した。
少年には「偽善者になれない偽善者」などとほざいておきながら、口先の謝罪をして自らは保身のため病院に逃げ込む。 本当の偽善者はどっちだろう。
週刊新潮は明日の号で顔写真と名前を公表するという。 マスコミの取材構成・人権侵害は考え物だが、この件に関してはどんどんやればよい。 世間に徹底的にいじめられて、自らの身を持って少年の絶望を体験するが良いだろう。

◎そして校長は校長でこれまた口先だけの謝罪をしておきながら、学校の責任回避に躍起になり、遺族からは距離をとり始めた。 こいつもまた保身のみを考える偽善者だ。
ちなみにこの校長率いる三輪中学校は、かつて別の教師が別の女子生徒をいじめていたことも発覚している。
そのほか数件のいじめが報告されているが、いずれも教育委・文科省への報告はなし。
教師と校長と学校が一体になって生徒をいじめ殺す異常学校、それが三輪中学の正体と言わざるを得ないし、何もそういった体質は三輪中学に限った話ではない。
年間数百件の小中学生の自殺が報告されていても、文科省に報告された「いじめによる自殺件数」は2000年以後、ゼロだったのだ。 全国の小中学校・教師が全て異常化しているといっても過言ではないだろう。
中にはまともな学校、まともな教師はいるだろう。 しかし良い先生が一人居れば、腐った先生は10人居る、と言うのが実情、と考えるのが妥当だろう。 それぐらい、学校・教師の不祥事が多すぎるのだ。

◎我々(私にはまだ子供は居ないが)は、そういった異常学校に子供を通わせ、外道教師に教えを請うと言う危険性を、しっかり認識する必要がある。 親としても、誰を信じればよいのだろうか。
しかし難しいのは一意的に学校・教師を規制や規則でガチガチに縛り、親が優位に立つようなシステムにすることは、それはそれで問題がある、と言う点だ。
義務教育だからと給食費を払わない親、クラスの雰囲気に問題があるからとクラス替えを要求する親、至って正常な範囲の教育的指導すら「いじめ」とクレームをつける親・・・ 教師が腐っているのと同様に、 親の側も腐っていることもある。
裏切る教師と利己的な親に囲まれ、子供たちは一体何を信じて、何を頼りに成長すれば良いのか… 結局一番の被害者は、子供たちなのだろう。

◎しかし、子供は天使でない。 絶対的加害者の子供が居る。 今回の自殺の大元、いじめに加担した糞餓鬼どもだ。
あえてこいつらは子供と呼ばない。 餓鬼と呼ばせていただくが、
今まで数多くのケースがそうであったように、この事件から糞餓鬼どもの存在は忘れられて欲しいかのように、報じられることはない。 おそらくそれは学校内部でも同じで、彼らがどういう罪を犯し、どういう罰を与えられなければならないか、は全く論じられることはないだろう。
いじめは犯罪であり、それによる自殺は殺人にも匹敵する重大犯罪であること。
法治国家においては、罪を犯したものには相応の罰・制裁が加えられること。
今、彼らに教えなければ、一体誰が教えると言うのか。
「将来性」や「更正」と言う理想論に振り回され、女子高生コンクリート殺人やマット死事件、葬式ごっこ事件の悲劇をまた繰り返すつもりか。

私は偽善者と呼ばれても構わないから、この糞餓鬼、外道教師どもに鉄槌が下ることを心から願う。

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